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オーディオブックの可能性

◉以前にも、オーディオブックの可能性については、何度かこのnoteで触れた記憶がありますが。実際に自作がオーディオブックになった作家本人の感想と考察が、noteになっていました。Android タブレットには、自動読み上げ機能があり、リフロー型の電子書籍ならば文章を読み上げてくれて楽なのですが。やはり、本職の声優やアナウンサーが 読み上げるオーディオブックは、別格のようですね。本にまつわる、イロイロと雑多な話をば。

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ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、本を抱えた少女のイラスト。いい雰囲気ですね。


■ナガラと時短の可能性■

自分はそこそこ本好きの部類だと思うのですが、流石にこの年齢になると目の酷使が祟って、紙の本の文庫本とか、字が小さくて読むのが辛くなっている部分もあります。その点で、文字の大きさを調整できる電子書籍は、まさに老人のための機器という面があります。しかし、オーディオブックなら聴く読書で、その点はさらにカバーできますね。自分のように、仕事中はラジオかPodcastを聞きながらの、ナガラでやる人間にはオーディオブックはその点で便利です。対応作品がまだまだ少ないのが難点ですが。

元noteで面白いのは、再生スピードを変えて時短、という指摘。自分は、動画とか映画とかは、等倍速でしか視聴しないのですが、なるほどそういうやり方もありますね。現実問題、自分は本を読む時は速読ができるので、一般の人の4倍から5倍の速度で読めます。これって、動画の倍速視聴と、何が違うのかと。造り手側としては、最適の速度で作っているから、それで観てほしいという気持ちはわかりますが。最終的には、視聴者の自由であって。押し付けられないと思うんですよね。実際、良い作品はくり返し聞くでしょうし、等倍速で聞くでしょうから。淘汰は必然です。

■オーディオブックの境界性■

個人的には、オーディオブックは声優の新しい仕事として、かなり面白いと思うんですよね。アニメスタジオも声優も、空いてる時間を使って録音して、製品化もできるでしょうし。後でちょっと書きますが、それこそ大手出版社がアニメスタジオを参加に収めて、自社のコンテンツをどんどんオーディオブック化する未来だって、充分にありますし。極端な話、落語の演目と同じで、同じ話でも声優によって表現が変わってくると思うんですよね。『吾輩は猫である』を山寺宏一さんが朗読した場合と、林原めぐみさんが朗読した場合では、印象は違って当然ですしね。

以前も、講座のスタッフや他の講師と語ったことですが、アニメ化は費用的には難しくても、単独声優の朗読のオーディオブックから、2人の声優での朗読、本格的に効果音も入れたオーディオドラマ化と、いろんな段階があると思うんですよね。そういう意味では、小説とアニメ・漫画とアニメの間のワンクッションとして、オーディオブックがあっていいと、自分は思いますけれどね。本は読むモノだというのは、視覚障害者を無視した傲慢だと思いますし、そういうバリアフリーも必要でしょう。それこそ、デジタル化で自動読み上げの音声のオーディオブックも有り。

■小説はオワコン?■

さて、X(旧Twitter)に小説家の関元聡先生のこんなポストが。京都アニメーション放火殺人事件の、犯人の心情についての言及です。

京アニの青葉被告の陳述を読んだ。共感はできないものの、時間と労力をかけて作り上げた創作物が紙くずに変わった時の絶望感については全く知らない感情ではない。

https://twitter.com/skmt3104n/status/1704413862978900232?t=ZcYBdbZlZ_o52fC3TZC2TQ&s=19

コレに対する、同人コミックなどの翻訳を手掛けているカスガさんの引用ツイートがこちら。

マジな話「小説とは読まれないし、評価もされないものである」という現状認識はもう少し広まった方がいい。
それでも多くの人は「自分だけは例外である」と思ってしまうし、そうでないと小説なんか書けないのだが。

https://twitter.com/kasuga391/status/1704459775965286721?t=u0ibNirLilu-8KWgdwTVLw&s=19

コレに対する、芦辺拓先生の引用ポストがこちら。ちょっと論点は 拡散していますが、前々から芦辺先生が問題としてきた部分でもあります。

カスガさんのこのツイートをどう解し、どう答えればいいいのか考え続けている。小説はもう役割を終えた、もともと小説は読まれるべくして読まれるものではない、小説は惰性で存在しているだけ、いるのは小説を書きたい人間だけで読みたいものはいない――どの指摘も正しく、したがって答えようがない。

https://twitter.com/ashibetaku/status/1705281143124394348?t=j1YI_ixzg0oD13rgm-LzTg&s=19

街から映画館が消えていったのと、書店の減少はそっくりだし(その間、映画館はエロ・セックス路線になり、本屋はエロ雑誌とアダルトDVDだらけになって、なくなっても惜しまれなくなったのも同じ)。今、小説をめぐる状況で一番そっくりなのは、互いがチケットを買い合い、足を運んでいる小劇場演劇か

https://twitter.com/ashibetaku/status/1705283012785733861?t=EVXGlDOzJrUS9xRAsw_KWQ&s=19

コチラのnoteも参考にどうぞ。

■小説の未来■

『ONE PIECE』のデビュー担当の方とずいぶん前、トキワ荘プロジェクトのイベントで雑談した時。小説は作品の種になりうる存在と語っておられて、思うところがありました。漫画やアニメ、舞台、映画、ゲームと、発展性が高い表現だと。もちろん、それ自体で独立した表現ですが。実際、京都アニメーションは京都アニメーション大賞を立ち上げ、小説のレーベルも立ち上げ、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という傑作を、世に送り出し。小説という物語の種を、アニメーションという花に育てた例でしょう。

このまま、作家の個人出版が盛んになれば、大手出版社は差別化とスケールメリットを生かすため、傘下にアニメ制作会社を持つ可能性があるでしょう。自社作品を、自社のコントロール下で制作する。これもAmazonやNetflix、DMMとかがすでに動き出していますし。出版社が参入しても、独自契約を結んで業務提携しても、いいでしょう。そうなった時、小説自体の儲けは少なくても、メディアミックスの種として、小説の価値はより高まると期待します。オワコンどころか、成長の可能性を秘めていると。

莫大な製作費がかかる映画や、それに次ぐアニメーション制作、作話能力に加えて作画能力と演出能力という特殊な技能が必要な漫画に比較して、小説は 入り口のハードルが低いので、才能を集めやすいという面もあるでしょう。ハードルが低いってだけで、簡単だとは言っていませんよ。ただ、小説家は映画のように、音響やカメラや衣装や大道具小道具まで、綿密に考える必要がない分、ハードルが低いと。作品のアイデアやキャラクターや構成を考えるのに集中できる分、そちらではハイレベルのモノが要求される訳で。

■短編とオーディオブック■

ただ、放し飼いにした才能が、小説投稿サイトなどから自然に出てくるのを待つのは、やや限界がある気もします。一流の才能は稀少で、三流を二流に、四流のハイアマチュアを三流のプロにする、育成が大事に。こう書くと、自分が馬鹿にされたように受け取って、激昂する人がいますが。激昂する時点でなた、京都アニメーション放火殺人事件の、犯人の予備軍ですよ? 先ずは、才能が無いことを認めて、前進することを選択できないなら、虎になった李徴と同じかと。そこで重要になるのが、専門学校や講座などでの人材育成なのですが。

出版社がノウハウを生かした人材育成に打って出ても、カバーしきれる範囲には限界がありますから。そもそも、なろうやカクヨムにしても、長編が圧倒的に多く、それで構成がメタメタな人が多いですね。小説系の専門学校でどんなことを教えているか解りませんが、もうちょっと短編で面白いモノを書ける人を増やさないと。一冊の本を読み上げるのは、本好きが思ってるよりハードル高いので。推理小説の神祖エドガー・アラン・ポーが、短編に小説の美を見いだしたように。ポーは、1時間程度で読めることを重視するなど、発想がモダンです。で、短編と同時に読者のハードルを下げるのは、オーディオブックだと思うんですよね。

個人的には、ショートショートに掌編短編中編、通勤通学の時間に併せて読める、そんな作品が増えると、入り口は広がると思うんですよね。けっきょく、小説好きの意見に振り回されて、間口を広げる努力を怠ってきたのが、小説界の問題で。宝酒造がビールに進出したとき、酒好きの本格的ビールをって声を信じて進出したら失敗。ところが、サントリーがペンギンのイラストにライトなビールで成功。それを土台に、サントリーはモルト100%のビールでも成功。サントリー嫌いでも、ここは見習うべきかと。

事務局と話し合いながら、小説講座の新機軸を計画中。物語を作る本質は、小説も漫画も映画も同じですから。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

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喜多野土竜
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