杉下茂さん死去
◉北別府学さんに続いて、また一人球界のレジェンドが……。97歳は大往生でしたが、ここまできたら100歳の大台で始球式をやっていただきたかったですね。そう、自分の中では川上哲治氏の時代のプロ野球選手で、1955年にプロ野球選手生活を始めた、ジャイアント馬場さんと現役時代が重なるレジェンドと言うイメージです。中日の試合での始球式が毎年の名物で、なんかお元気な姿を見るとホッとするというか。もう、戦前のプロ野球をする選手は鬼籍に入り、杉下さんさえ戦後の入団なんですよね。昭和も遠くなりにけり、ですね。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、ナゴヤドームの写真です。
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杉下さん、当初は川上哲治さんにしか、フォークを投げなかったとか。理由は、もちろん最高の打者への切り札という面もあったのですが、捕手が捕れないから、というのをテレビで語っておられましたね。村田兆治さんや野茂英雄投手もそうでしたが、フォークボーラーというのは、パスボールとの戦いという面もありました。いわんや、元祖フォークボーラー。キャッチャーだって、投球練習以外はなかなか捕球して練習するチャンスもないですしね。現在でも、ナックルボーラーは専用の捕手が必要なように。当時はまさに魔球の扱いだったでしょう。
日本では、シュートは肘を痛めるというイメージがありますが、アメリカではフォークが肘を痛めるというイメージがあるそうで。結果、フォークボーラーが少なく、日本人投手が活躍できる素地が。それも、杉下さんが元祖。村山実さんや村田兆治さん、野茂英雄投手、佐々木主浩投手など、フォークボーラーの元祖。杉下さんがすごいなと思ったのは、指がフォークの握りでボールに沿うような角度で、本当に元祖らしい、フォークと相性が良かったんだなと。王貞治会長が、コメントを出されていますね。もう、球界の大きな話題となると、王会長がコメントを出さないと、
王会長ですら、対戦経験がないぐらい、プロ野球黎明期の選手ですから。なにしろ、大正生まれですし(ゆえに名球会には入っていません)。ただ長嶋さんは対戦し、フォークボールを完璧に打たれたと御本人の談。思えば、読売ジャイアンツの1965年~1973年のV9でさえ、自分は生まれる前&幼児で記憶にないですから。その当時、監督だった川上哲治氏のライヴァルだったわけで。当然といえば当然です、長嶋さんの現役生活さえ、記憶にないのですから。王会長の現役時代さえ、覚えてるのはもう50歳以上ですしね。北別府さんも、現役時代を覚えているのは40歳以上ですかね。
現役生活は1949年から1961年と、11年間の短い選手生命ですが。その間、9年連続の二桁勝利に、6年連続の20勝以上という、伝説の選手。特に1954年は32勝12敗・防御率1.39・273奪三振・勝率.727・395.1投球回で、投手5冠を達成した数少ない一人。7完封で六冠でもあります。投手として取れるタイトルは全部取ったし、30勝投手でもあり、沢村賞やMVPも獲得し、ある意味で投手の頂点を極めた、全盛期は日本プロ野球史上10指に入る大投手ですね。そして長寿。レジェンドとしても尊敬され、プロ野球選手として、幸福な一生に思えます。
フォークボールの神様・杉下茂さんのご冥福をお祈りします。合掌