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門田博光さん死去

◉門田博光選手、南海ホークスの大打者ですが、ホークスファンとしては忸怩たる思いがあります。福岡移転で、福岡行きを拒否して、同じく関西のオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)に移籍して、活躍されましたので。四番打者が抜けてしまった福岡ダイエーホークスは、案の定の弱さで、しばらく低迷することに。ホームランアーティストにありがちな、徹底したエゴイストでもありました。だからこそ、プロ野球選手としては小柄な体で、歴代3位の567本塁打を打てたわけで。でも、御本人は600本打っておけばと、ずっと悔やんでいたとか。

【「不惑の大砲」門田博光さん死去 74歳 フルスイングこだわりプロ歴代3位通算567本塁打】日刊スポーツ

長らく南海(現ソフトバンク)の主砲として活躍し、プロ野球史上3位の通算567本塁打を放った門田博光(かどた・ひろみつ)氏が亡くなったことが24日、分かった。74歳だった。

170センチの小柄な体をフルに使った豪快な打撃で、球史に大きな足跡を残した。本塁打の飛距離のみならず、打ち損じた内野フライの高さまでもファンを魅了した。奈良・天理時代は本塁打なし。社会人野球のクラレ岡山に進み、68年ドラフト12位で阪急(現オリックス)の指名を受けたが入団を辞退。69年2位で南海に指名され入団した。
(中略)
満40歳で迎えた88年は44本塁打、125打点で2冠を達成。40歳での本塁打王、打点王は現在もともにプロ野球最年長だ。「不惑の大砲」は流行語にまでなり、球界の枠を超えた社会現象を巻き起こした。ところが、同年限りで南海はダイエーに球団を売却。関西での生活を希望し、同じオフに阪急から球団を買収したオリックスへと移籍した。

https://www.nikkansports.com/baseball/news/202301240001007.html?cx_testId=152&cx_testVariant=cx_undefined&cx_artPos=1#cxrecs_s

ヘッダーはウィキペディアのフォトギャラリーより、イロイロと思うところあったので、大阪球場の写真です。南海ホークスの選手でしたから。

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一度はアキレス腱断裂という、選手生命を失いかねない大怪我も負ったわけですし。野村克也監督が、ヒットの延長がホームランだと説得しても聞かず、困り果てて王貞治さんにも加勢してもらったのに、二人が自分を騙そうとしていると聞かず。ホームランの打ち損ないがヒットだという、徹底的にホームランにこだわった方でした。なにしろ、パ・リーグは観客が少ないので湿度が低く、それでボールが飛ぶと喜んでいるぐらい。でも、だからこそ44歳まで現役を続けられたわけで。芸術家もスポーツ戦sニュも、名を成す人はそんなものです。

だからこそ、榎本喜八選手のように、指導者としてはどこからもお呼びがかからず、プロ野球球団とも距離を置いていたんですが。でも晩年は、野村克也さん共々、南海ホークス・福岡ダイエーホークスOBとして、イベントに顔を出しておられましたね。ノムさんともどもニコニコとされていて、やっぱり野球が好きなんだなぁと。あの小さな体で飛距離を出すバッティング理論を、後世に残してほしかったですね。同じパ・リーグのライバル球団の、エースであった山田久志さんも、その死を悼んでおられます。

近鉄バファローズの鈴木・阪急ブレーブスの山田・西武ライオンズの東尾、ロッテオリオンズの村田と、あの頃のパ・リーグには絶対的なエースがいて。各球団にも門田・落合・ブーマーと、強打者がいましたから。清原和博選手の入団と西武ライオンズ全盛期の到来で、パ・リーグにも光が当たり。野茂とイチローというメジャー級の選手の加入でレベルアップし、ホークスの初優勝で人気爆発で、北海道や東北にも球団が分散し、昭和の時代の昔のパ・リーグを知る人も、40代以上になってしまいました。昭和も遠くなりにけり。村田兆治さんに続き、残念です。

門田博光選手のご冥福をお祈りします。合掌

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喜多野土竜
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