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小説市場が10年で半減

◉ちょっと、衝撃的な数字です。自分の漠然としたイメージでは、ライトノベルやWeb小説による作品のアニメ化も多く、また内容もクオリティが高くヒット作も多いので、小説市場全体が底上げされてるのかと思ったのですが……。小説市場全体は10年で半減。数字は残酷です。

【「小説市場はこの10年で半減、web小説除く従来の文芸は1/4に」で衝撃「スマホに負けた」「もう時代に合わない」「疲れて読めなくなった」】Togetter

ラノベ市場の話。すでにピークは2016年に終わって加下降トレンド。コミックは非常に伸びてるが文芸市場が10年で半分以下。文芸の4割をラノベが占めさらに下降線を描いてる。この冊数だと出版印税ではペイしない。小説家そのものが死んでるかも。

https://togetter.com/li/1909160

元記事はコチラ。

【〈ブームから10年超〉爆発的売上を記録し続ける「なろう系」「異世界転生」小説の“意外と知らない歴史”】文春オンライン

 日本の文芸において「なろう系」「異世界転生」をテーマにした作品が人気を集めるようになって久しい。しかし、ジャンルそのものの誕生や爆発的ブームになった契機までを知る人はそう多くないだろう。はたして「なろう系」「異世界転生」はなぜこれほどまで多くの読者に受け入れられるジャンルとなったのか。
 ここでは、出版産業、マンガに造詣が深いライターの飯田一史氏の著書『ウェブ小説30年史 日本の文芸の「半分」』(星海社新書)より一部を抜粋。長いあいだ別物と思われてきたウェブ小説がライトノベルとみなされはじめる時期の動向を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

https://bunshun.jp/articles/-/55369?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=socialLink

ヘッダーは元記事のグラフより、非情に重要なグラフなので上にも転載しておきました。

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■小説は…成長市場?■

でも、自分は小説は、まだまだ可能性があると思いますし、成長産業だとさえ思っています。だって、コミック市場がこの2年間で脅威の伸びを見せていて、ビジネス分野も上がり目。この10年というか1995年以降は、確かに出版事業全体が右肩下がりで、その流れと小説市場はシンクロしていたのですが。コロナ禍の巣ごもり景気の結果、漫画とかビジネス書がかなりの伸びを見せているのですから、出版業界に上げ潮が来ているわけで、それは構造的な問題とは違うんですよね。

ハッキリ言えば、漫画の急激な伸びは、それまでの出版社の電子書籍市場の軽視と、スマートフォンの普及による爆発的な電子書籍購入・サブスクの発達などがあるわけで。10年前は数%だったスマートフォンの普及が91.9%に達し、20代や30代には至っては96%から98%という高い普及率を見せています。ある意味で、テレビ以上の普及率。新しいインフラの登場で、出版社・取次店・書店で独占していた本の流通が、崩れたという点が大きいでしょう。

逆に言えば、その電子書籍の爆発的な普及という流れに、本をつくる側の編集者や編集部や出版社は、どういう対応をしているのか? 本屋はドンドン潰れ、商品を並べておけば売れる時代では、もうないですからね。その視点で行けば、文春の元記事よりもTogetterの記事を上に持ってきたのは、元記事よりもコチラのほうが読者視点の意見が多く、考えるヒントも多くあるからです。

■パブロフの犬になる■

自分も出版社に10年と2ヶ月勤務しましたし、大学は日本文学科ですし、たぶんそこら辺の本好きよりも、本が好きですよ。従兄弟に編集者がいた関係で、出版業界との関わり自体は、30年以上ですし。AmazonのKindleだけでも8509冊になっていますから。紙の本と併せての蔵書は、1万2000冊を超えてるでしょう。だって、好きすぎてそれを職業にしてしまったんですから。でも、ハッキリ言えば近年は「本好きが本を殺す」状況があったわけです。本好きとは、編集者自身です。

文春の元記事の種本を出す星海社自体が、電子書籍より紙の本の発売を優先させ、同時発売を長らく拒んでいましたからね。今でこそ改善されましたが。本とは「紙の本を出版社が作って取次会社が全国の書店に配本して、本屋で購入するものだ」という、強硬な思い込みがあったのです。でも、思い込みは思い込みであって、事実でもなんでもありません。紙の本に対する愛着とかはわかりますが、それが〝パブロフの犬〟になっていないかという、作る側の内省は必要でしょう。

石原慎太郎氏が、届いたばかりの新聞の紙の手触りやインクの香りの素晴らしさを昔、力説していました。情緒としてはそれはよく分かるんですが、それは新聞の中身とは別の〝付加価値〟です。それは、餌をもらうときにベルを鳴らされ続けた結果、ベルの音を聞くとヨダレが出る条件反射の実験の、パブロフの犬と同じではという、立ち止まりは必要でしょうね。読者がほしいのはベルの音ではなく、美味しい餌です。こういう時代の変化と対応については、新美南吉の『おぢいさんのランプ』を読み返し、噛みしめるべきでしょう。

■受動的か能動的か?■

小説も、それを紙の本で読むか電子書籍で読むかは、情報の媒体の話であって、中身の問題とは違うんですけどね。自分のように近眼で乱視、近年は老眼も入ってきて……という人間には、むしろ文字の大きさを調整できる電子書籍が、ありがたいです。でも、字が読むのがキツイ高齢者や視力に難がある人間を、切り捨てているという自覚がない、冷酷な紙の本好きの編集者が、多いですね。冷酷どころか、自分は本を愛し守護するものと思ってるので、さらにタチが悪いのですが……。

例えば、アニメや映画やドラマを、二倍速で視聴したり、切り抜き動画で済ます視聴者に、否定的な人は多いです。でも、作品って最終的には読者のイニシアティブがあるものです。そもそも、小説や漫画って、自分のペースで読めるものですよね? 感動したシーンでしばし読むのを辞めて、感動を反芻したり。疑問に思った部分で手を止め、遡って確認したり。これって映像で言えば、一時停止や巻き戻しと同じ。けっきょく、そういう機能があれば使うのは、視聴者の自由。

クリエイターには確かに、海原雄山のごとく「これが一番美味いんだ、黙って食え!」的な傲慢さがありますし、これ自体は自分は全く否定しません。むしろ必要な資質とさえ思っています。でも、それが許される傑作もまた、少数なのは事実。二倍速で観られた、悔しい。それはわかりますが、「二倍速で見るな!」ではなく「普通の速度で見返したくなるような……そんな作品を次は作ろう」が、まっとうな作り手の反応ではないんですかね? 自分は気に入った作品は、等速で繰り返し見ていますし。

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