ブラジルの殺人鬼が殺害される
◉100人以上となると、なんかもう殺人というものに対する感覚が普通の人間とは異なっているのでしょうね。サイコパス……という言葉はあまり使いたくないですが。日本だと単独犯の殺人件数としては一時期、世界記録でもあった、津山三十人殺しが有名ですが。その3倍以上の人間を殺しているのですから、まさに桁違い。しかし因果応報と言うか。死刑制度がなくて、42年間服役しても出所してきたら、こうやって復讐されるんですね。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、殺人鬼で検索したら出てきたイラストです。
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■近代法は復讐法■
思えば、マーク・チャップマンがジョン・レノンを暗殺したのが1980年12月8日、真珠湾攻撃の日でした。あれから43年、彼はまだ仮釈放が認められません。100人以上殺した殺人犯と、1人を殺した殺人犯がほぼ同じ服役というのも、別の意味で感慨深いですが。チャップマンの場合は出社したら確実にレノンのファンから暗殺される可能性があるので。しかし、ラブ&ピースを説いたカリスマミュージシャンのファンから殺されるというのも……。
日本の死刑廃止論者は「欧米では〜」と、出羽守になりがちですが。死刑という制度がなければ、被害者遺族やその周辺の人間は、復讐感情の持って行き場がなくなり、自分で手を下すということかと。そもそも近代法のルーツであるハンムラビ法典自体が、復讐法と呼ばれています。「目には目を、歯には歯を」の言葉で知られますが。誤解されていますがこれは過剰な復讐を規制する法律です。貴人の目を潰したら命を奪うような。
■報復感情の慰撫が死刑■
「犯人を死刑にしたからって、亡くなった人は戻ってこない」などという死刑廃止論者もいますが。別に亡くなった人を戻ってこさせるために、死刑をするわけでもなく。復讐感情を満たすために死刑はあるのです。であるならば、人を殺した人間は死刑になるべきだし。死刑を廃止するならば、死刑に匹敵する刑罰を用意しなければ、報復感情は収まりません。だからこそ、日本ではマスコミがどんなに死刑廃止を訴えても、輿論調査では死刑廃止論が支持を集めない理由です。
自分の愛する人間を害されたら、その復讐をする権利を人間は持っているわけで。その権利を法治国家では国が移譲され、復讐権を代行しているわけです。国がきちんと刑罰の代行してくれないのであれば、個人が実行するしかないのは当然でしょう。ここら辺は呉智英夫子が逆説的に、復讐権の復活=仇討ちの復活を提唱されていますが。理路を考えれば、それほどおかしな話でもないのです。現実的には、仇討ちは体力的にできない人の方が多いでしょうけれど。
■国家権力という暴力装置■
日本の死刑廃止論者が大衆の支持を得られないのは、冤罪による人命が失われる可能性云々はお題目で、国家の持つ権力を削ることが真の目的だからと、疑われているからでしょうか。死刑というのはまさに国家権力のひとつの、暴力装置でもありますから。国民が国家というシステムに移譲した暴力を、骨抜きにしたいだけで。反政府活動をやりすぎてこじらせ、手段が目的になってしまった人たちが、多数派でしょう。
自分が死刑廃止論者ならば。まずは恩赦なしの終身刑か、加算方式の懲役刑(懲役200年とか)と引き換えに、死刑を廃止するでしょう。その上で、恩赦の例外規定を加えたり、終身刑の年齢による年限を付け加えたり、搦め手で徐々に骨抜きにしていくでしょうね。ところが日本の死刑廃止論者は「現行法で対応可能!」の一点張りで、聞く耳を持ちません。この国は穢れの思想があり、できれば死刑はなくていいという人のほうが、多いでしょうに。戦略が雑。
どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ