右のお花畑平和論
◉毎日新聞に掲載された、田中均公益財団法人日本国際交流センターシニア・フェローの論が、批判されいています。肩書長いなぁ……。この方、外務省アジア大洋州局長だったときに、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の拉致被害者を、一旦北朝鮮に戻して、自由往来させるように主張したんですよね。ご自身は、北朝鮮と裏交渉もしたでしょうし、政治の裏側を知ってるという自負で書かれたのでしょうけれど、何の具体性もなく。結果的に、左派のお花畑平和論と大差のないものになってしまっています。これでは、日本の外交官僚は無能という疑惑を、裏付けるだけです。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、
◉…▲▼▲▽△▽▲▼▲▽△▽▲▼▲…◉
■外交専門家の無策■
これに対して、池内恵東京大学先端科学技術研究センター教授が、厳しく批判しています。完結にして的確な内容なので、リンクを転載しておきます。日本は軍事音痴という点に関しては、右も左も病膏肓なんですが、右側のほうがよりアホっぽくなるのも、情けないです。
・侵略者にお土産を渡せ
・小国は攻められたら早く降伏しろ
・核大国を追い詰めるな
まさにこの3つに集約されており、右も左も言うことは同じと言う。いくら戦後、アメリカの核の傘の下でヌクヌクと生きてきたとはいえ、あまりにも無策。まぁ、本人たちは3つも策を出してるぞと、威張りそうですが。
■戦前の愚策と同じ■
この3策、実は戦前の欧州の政策と似ているんですよね。イギリスのネヴィル・チェンバレン首相が、まさにそれ。ヒトラーの台頭に、融和策で臨んだチェンバレンは、結果的にナチスの成長を看過し、かえって大きな被害をもたらしたわけですが。しかしそういう政策を取ったのも、第一次世界大戦の戦禍が旧来の戦争と比較して、あまりにも桁違いだったため、欧州にはすっかり厭戦気分が蔓延し、平和論が跋扈していたんですよね。チェンバレンの政策は、そういう大衆の想いに寄り添ったものであって、彼が主導したものではないというのが、重要です。
チェコスロバキアの要衝ズデーテン地方を要求したヒトラーに対して、イギリス・フランス・ドイツ・イタリアの首脳会議がミュンヘンで行われます。このミュンヘン会談でチェンバレン首相は、台頭するソ連に対する押さえとしての反共主義と、前述の平和主義、そして対ドイツの戦争準備の不足から、この要求を呑んでしまいました。でも重要なのは、当時の国際世論では戦争を回避したと、称賛されたわけです。北海道と四国を合わせたぐらいの面積のチェコスロバキアは、大国のエゴに翻弄されて、一方的に領土を割譲させられます。恐ろしいほど、似てるでしょ?
■郷原は徳の賊なり■
チャーチルは、チェンバレンの政策は、ナチスに戦争の準備の猶予を与えるだけだと、批判したんですが。けっきょく、その危惧通りになったわけです。でも、未来の惨禍を未然に防いでも、大衆はそんなものは評価しません。ナチスドイツとヒトラーが、メチャクチャなことをやって第一次世界大戦以上の惨禍をもたらしてようやく、チェンバレンの融和政策は失敗だったと気づいたわけですが。チェンバレンは未だに批判されますが、彼を称賛した愚かな大衆は、責任なんか取りませんから。でもそれは、民主主義の良い面でもあるんですけどね。
日本でも、韓国や北朝鮮や中国の理不尽な要求に、日本が引くべきだ~!と絶叫する人たちがいますが。そうやって譲歩して、WIN WINの関係になったことなんかありましたか? 一歩譲歩したらもう一歩譲歩を要求してくるわけで、日本的な三方一両損的な考え方は、島国の村社会の論理でしかないです。また、韓国も金大中大統領のときに太陽政策を掲げましたが、結果的に北朝鮮を延命させ、各開発の時間を与えただけでした。金大中大統領はそれで、ノーベル平和賞を受賞しましたが、この評価は残念ながら、間違っていたと言わざるを得ません。
論語に、「郷原は徳の賊なり」という言葉があります。郷原とは、田舎の道徳科ぐらいの意味で、俗耳に入りやすい徳目を解く人間は、かえって徳を損なう存在だという、孔子の怒りを顕しています。福島瑞穂社民党当主などに代表される、日本のお花畑平和論者は、まさにこの郷原です。威勢のよい主戦論も有害ですが、お花畑平和論もまた、平和を損なう存在だということです。残念ながら日本は、ミサイルを打ち込まれたりして慌てて、過剰反応に出るしかないでしょうね。マスコミはすぐに主戦論に転じるでしょうから、その時には逆にブレーキを掛ける必要があるのですが。
どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ