反日デモの黒幕は北朝鮮
◉テレビ愛知がこういう番組を作る程度には、この問題の本質が知られるようになった、ということですね。これが昭和の昔だったら、北朝鮮シンパによる必要な抗議にテレビ局も腰が引けて、放映はできなかったでしょう。2004年の小泉総理大臣の訪朝と、拉致問題の発覚から20年近く、ようやく世論も変化し始めたということでしょう。なにしろ平成の初期は、慰安婦問題を語るだけで、極右のレッテルを貼られたのですから。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、初代将軍様の巨大銅像です。
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■反日の影に北朝鮮■
この問題の黒幕は、金日成。北朝鮮の初代独裁者様です。彼と旧挺対協との関係は深く長く、ラスボス的存在。旧挺対協の主要メンバーが、早い段階で金日成と一緒に写真を取っていた訳で。なるほど、尹美香前代表の側近に、北朝鮮のスパイがいるのも当然。北朝鮮からの司令を伝える、重要なポジションだったのかと、疑ってしまいますね。この旧挺対協関係のデモに、たびたび渡韓して参加していたのが、仁藤夢乃Colabo代表。
こちらがその写真。
金日成の死去が1994年ですから、1990年に設立された旧挺対協は、かなり早い段階で北朝鮮の司令を受けていた可能性。たぶん、1988年のソウル五輪の開催阻止の一連のテロに失敗して、テロ路線の限界から、搦め手による日韓分断工作にシフトしたのがわかります。
■北朝鮮との点と線■
ここら辺の流れを、年表にしてみましょう。吉田清治なる詐話師が三一書房から、済州島で慰安婦狩りをした、なんてデタラメな本を出したタイミングを考えると、シフトと言うより、並行して動いていた可能性。拉致やテロというハードウェア戦術と、歴史問題を利用したソフトウェア戦術と、したたかな二局面作戦。国民の飢えを解消する面接的なことはできなくても、こういうことには知恵が回る不思議。
70年代から90年代の、半島と日本の点と線。
■保守も革新も反日の韓国■
ひとつ重要な点としては、吉田清治なる詐話師を当初、韓国のKCIAが優遇したという状況があります。日本政府を揺さぶるのに、利用できるネタのひとつと考えたのでしょう。1983年には、早くも吉田の証言に基づく石碑ができ、当人がその式典に参加しています。韓国は右も左も、反日という点では一致するという、今日につながる問題の核心があります。むしろ、李明博政権や朴槿恵政権のほうが、強硬な面も。
北朝鮮は戦後一貫して、拉致・テロ・覚醒剤密輸・偽ドル札製造・ミサイル開発・核開発と、典型的ならず者国家として振る舞ってきたのですが。日本の朝日新聞や毎日新聞の左派マスコミや、小田実氏ら進歩的文化人など、一貫して支持してきました。1980年代以降、経済政策の失敗によって物理的な工作が仕掛けづらくなった北朝鮮が、ソフトウェア戦術にシフトし、日本のマスコミや文化人、アカデミズム界隈を攻略するのに力を入れだしたからでしょう。
日米韓の三角同盟を揺さぶる、冠の紐作戦の一貫ですが。ジャニーズ事務所糾弾のPENLIGHTが、旧挺対協によって設立された希望のたね基金のメンバーで、ジャニーズのタレントより韓流アイドルにやたら詳しく言及しまくっていたり。日本にも、それだけ従北系団体が浸透しているのですが、安倍晋三元総理の一周忌に、思いを新たにしたいです。
どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ