桂枝雀師匠の教え
◉六代桂文枝師匠が、桂枝雀師匠について、語っておられます。もう亡くなって四半世紀、若い世代にはピンとこないですしょうけれども、上方落語の大人気落語家で、その活躍は関西にとどまらず、全国区の知名度がありました。役者としても評価が高く、自分などは小学生の時に『なにわの源蔵事件帳』の赤岩源蔵親方の役を演じたときに、そのお名前を初めて知りました。なので、むしろ落語家と言うよりも役者としての印象が最初は強く。本格的に落語を聞くようになったのは大学時代ですから、むしろタレントという印象でした。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、新宿末広亭の写真です。
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■肉付きの面に■
詳しくは、上記リンク先の全文を、ぜひお読みいただくとして。落語を初めて聞いたのは、独演会とかではなくテレビの演芸番組でした。お弟子さんも出演して、枝雀師匠の半生を語るという感じで。だんだん薄くなる頭髪をネタにされていて、面白かったですね。その後、初めて聞いた演目は確か『代書屋』だったと思うのですが、とにかくめちゃくちゃ面白かった印象だけが残っていて、演目が飛んでしまいました。逆に言えば、それぐらい桂枝雀というキャラクターが、圧倒的に強かったです。オーバーアクションとも評されましたが、座布団の上で縦横無尽、時にははみ出し、爆笑に次ぐ爆笑。
でも、芸の印象とは真逆で、とにかく生真面目で。その番組でも、笑いの仮面を被り続ければ、いつしかそれが肉付きの面になるのではないか、と思ったと語っておられて。ギャグ漫画家も、実際に会うと物静かな人が多く、後代目古今亭志ん生も、家ではあまり喋らない偏屈な感じがすると、弟子の古今亭円菊師匠が語っておられましたね。枝雀師匠も、どこか無理をしすぎたのか、重い鬱病に罹り。一度は克服されましたが、二度目はもっと酷く。ついには……。そういう意味で、亡くなった後はしばらく、CDを聞くのが辛かった部分があります。
■芸人の死に際■
枝雀師匠が亡くなった翌年、2000年には古今亭志ん朝師も亡くなり。志ん朝師匠は笑福亭松鶴師匠に心酔し、上方四天王との共演も置かったですが、笑福亭仁鶴師匠や桂枝雀師匠という同世代のライバルとの共演も置く。東西の巨星がほぼ同時に鬼籍に入り、ショックでした。あまり笑いを分析しすぎるのは良くないと、中島らもさんも枝雀師匠の生真面目な姿勢を、心配されていたんですが。その中島らもさんも、アルコール依存症からの2004年に事故死。お二人共、歳のとり方を示せる表現者だっただけに、ショックでした。
そういう面はあるのですが。でも、個人的には喜寿や米寿になった枝雀師匠が、どういう形で変化していったか、見てみたかったです。老いて枯れる姿を見せるのも、師匠の務め。そういう意味では、最後の言葉が「ババしたい(ウンコしたい)」だった六代目笑福亭松鶴師匠は、死に際まで完璧な芸人だったなと。「煩悩を 我も振り分け 西の旅」という、実父である五代目松鶴の辞世の句を本歌取りした句とのバランスも、最高です。
■次の上方落語■
でもこうやって、残った同時代の芸人が、記録に残す。それって大事なんですよね。その人が語ることで、記録に残り、同時代を生きた人間の記憶を呼び覚まし、次世代の人間が知るきっかけになる。今は、映像も豊富に残っていますからね。まったく枝雀師匠を知らない世代も、松本人志氏が絶賛することで、興味を持ち、知るようになる。そこが大事かと。
さて上方落語も、四天王の弟子世代はすごい才能がどんどん出てきて、今日の隆盛を築きましたが。孫弟子の世代となると、朝ドラ『ちりとてちん』で名を売った桂吉弥師匠とか、全国区の知名度がある人が少なく。いや、関西では皆さん活躍されているんでしょうけれども、やはり東京でもトリが取れる人材がほしいのです。でも、桂二葉という怪物が出現し、笑福亭たま師匠や笑福亭べべ師匠など、上方落語の次世代も、期待できそうです。
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