ノーベル生理学・医学賞受賞にカリコ博士とワイスマン博士
◉mRNAの研究で、ペンシルベニア大のカタリン・カリコ特任教授とドリュー・ワイスマン教授のノーベル生理学・医学賞の受賞が発表されました。これは、かなり異例のスピードですね。ノーベル賞の科学三賞は寿命との闘いとも言われ、その研究が社会の役に立つことが確認されてからなので、30代前半で発表した研究が、80代になって認められて受賞なんてことも、ざらですから。本来はノーベル賞級の研究だったのに、間に合わなかった人は山のようにいます。コロナ禍で、大きな成果を発揮したmRNAでしたから、このスピード受賞に繋がったのでしょう。素晴らしいです。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、ノーベル博物館だそうです。
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■波乱万丈の研究者人生■
カタリン・カリコ博士は、ハンガリー出身なんですよね。高校の時から、その才能は高く評価されていて、生物学で最優秀の生徒に与えられる第1回イェルミ・グスターヴ賞を受賞。しかし、ハンガリー人民共和国の経済は一党独裁の硬直した経済政策でボロボロになり、研究費が打ち切られ。アメリカに職を求め、理解を得られ読んでくれる大学もありましたが、当時は出国制限やドルの持ち出し制限もあり、大変な時代。アメリカに移住しても、旦那さんが清掃夫の仕事で支えてくれたとか。この話を「選択と集中はクソ」とすり替えて持ち出す人がいますが、もっとクソなのは社会主義共産主義でしょうに。
後に移ったペンするバニア大学でも、研究費の助成金が打ち切られ、職を辞する羽目に。もう、波乱万丈というか、映画になる人生ですね。研究費はもらえず、終身雇用のテニュアも外され、本当にmRNAの研究は冷遇されていたようで、記事とかWikipediaを読む程度でも、よく諦めずに続けたなぁと。ドリュー・ワイスマン教授との出会いがあって、この世界に貢献した研究がようやく、日の目を見たことを思えば、まさに「スポットライトを浴びたいのであれば、俳優や女優になればいい。でも、自分が問題を解決したいと思うのであれば、あなたは科学に向いている」の言葉が、胸に迫ります。
■研究の難しさと広がり■
他のnoteを書くために、レーザーとか調べてみると、基礎的な研究論文は、かのアインシュタイン博士の1917年の論文『Zur Quantentheorie der Strahlung(放射の量子論について)』が、レーザーとメーザーの理論的基礎を確立したとのこと。ううむ、100年後の未来では、核融合から海水淡水化、医療から音楽機器まで、使われまくっているんですが。やはり、理論から応用され、実用になり、人々の生活に役立つまでは、50年とか100年のスパンで見るしかないんですね。目先の研究成果を追っていては、こんな割にあわないことはないです。
こうやって、研究成果が認められることで、似たような研究をしている研究者への理解が進む、これが大きいんですよね。mRNAは応用範囲も広く、さらなる研究が進んでいますが。さりげなく、位高博士の研究もちゃんと紹介していて、この記事は好感が持てますね。変形性関節症は高齢者のみならず、スポーツ選手も栗湿られている疾患ですから、こういう研究が進んでほしいですし。こういう形で、カリコ博士たちの研究に加えて、他の研究への興味関心や、情報を提供する。これが新聞の役割のひとつ。「汚染水が~」なんて野党議員の声を垂れ流すことが、報道なのか? 自分は疑問です。
■ノーベル賞に拘らない■
そして、おなじみの韓国のノーベル賞狂想曲。そろそろ、俳句の季語に入れたいですね。日本も、バブルが方空きする前の80年代は、ノーベル賞が取れないとマスコミは嘆いていたもんです。そりゃあ、取れればしばらくは飯の種になりますからね。湯川秀樹博士のノーベル物理学賞の受賞が1949年。配線に打ちひしがれていた日本人には、よくわからんがすごい科学の賞を、受賞されたぞと大騒ぎに。その次の朝永振一郎博士が1965年、江崎玲於奈博士が1973年ですから、日本人には10年に一度しか取れないような、すごい賞でしたから。福井謙一博士のノーベル化学賞が1981年、利根川進博士のノーベル医学生理学賞が1987年と、物理学以外も受賞するようになりましたが
。90年代はついにゼロ。ここで、日本の基礎研究はダメだと、さんざん叩かれたのですが。2000年代に入ってから、怒涛の受賞ラッシュ。国籍を変更された方もいますが、受賞された研究自体は日本国籍で、日本時代のもの。
今後、日本からノーベル賞は減るという意見もあります。長い長い平成不況で、研究費が潤沢でなくなったせいもあります。でも、個人的にはこんな人物のこんな研究に、科研費がこんなに出たのかと、呆れることも多々あります。そういう部分で、真っ当な再配分が行われることを願います。はっきりしてるのは、こういう研究は選択と集中よりも、薄くてもいいから広く、研究費をばらまくこと。mRNAの研究を見ていても、それは実感します。願わくば、多くの研究者の研究が、どんな形でも報われることを願います。
どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ