ギャンブルが強い人には理由がある
「反面教師」という言葉が最近、友人との会話でよく出てくる。
「なぜ彼はあんな選択をするのだろう?」「なぜ彼女はそんな決断をしたのだろう?」 ───その是非は置いておいて、選択に至る思考のプロセスを分析すると、彼・彼女なりの思考のパターンが見えてくる。その結果、あれは手本にするのではなく反面教師にしよう、という結論に至る。
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■曲がり屋に向かえ■
相場師の格言に「曲がり屋に向かえ」というモノがある。
正確には「勝ち馬に乗るな、曲がり屋に向かえ」と言うらしいが。相場で成功している人のマネをするのではなく、予想を外してばかりの人間の、逆張りをした方が、成功率が高いということ。自分の少ない経験からの実感ではあるが、かなり当たっていると思う。
コレは単純に、打率の問題だと思っている。
ビッグコミックスピリッツ編集長であった長崎尚志氏がかつて「名編集者でも生涯打率は2割そこそこ」と語っておられたことがある。だが、ダメ編集者は9割外す。中には9割5分外す人間もいる。勝負の判断で、どっちを参考にすべきか、言うまでもない。
自分と折り合いが悪かった先輩編集も、曲がり屋だった。
偉そうに漫画論を語るわりには、担当した作品は外してばかりだった。故に、彼が良いという作家・作品は、概ねダメだろうという、ひとつの指標になった。まさに曲がり屋と呼べる存在だった。しかも彼は、売れてる作家が好きだった。
■曲がり屋の見分け方■
他社で既に売れている作家を口説いてきて、連載を始める。
そこそこ売れるが、それは彼の実績としてはカウントできない。既に売れた作家の知名度や地力に、背乗りしてるだけだから。まったく実績のない新人を評価するとき、彼の曲がり屋としての才能が発揮される。そっちは、恐ろしいぐらいに、ことごとく外すのだ。
では、曲がり屋はどうやって見分けるか?
名編集者でも8割は外す世界だから、ダメ編集者との1割の打率の差は、誤差の範囲内にも見える。しかしここで重要なのは、売れてる作家が好きというのは、逆説的に彼が、勝ち馬に乗ろうとするタイプであるという点と、セットだということ。つまり、自分の中に確固とした評価軸がない、ということ。
売れてる作家が好きというのは、評価軸ではない。
一見すると評価軸に見えるが、そうではない。その作家が売れようが売れまいが評価する何かが、彼にはないということだから。自分や鍋島雅治先生がカメントツくんを評価してから、売れるまで3年のラグがあった。しかし彼の作品は、売れてなくても面白かったのだから。高橋留美子先生に褒められるほどに。
■相対的な評価軸の問題■
売れている・売れていないは、相対的な評価軸に過ぎない。
売り上げは読者という、他人が評価した数字の多寡でしかない。作家を見出すとき重要なのは、絶対的な評価軸である。こういうポイントを評価する・しないという項目がどれぐらいあって、どういう点を重視するか。つまり自分が、作品や作家をどう評価するか、ということ。
「プロは結果だ」と言う人がいる。
偶然であろうが確変であろうが、とにかく結果を出した方が勝ちという意見。その考え方は間違っていない。だが、故野村克也監督は、プロセスを重視された。結果が正しくてもプロセスが間違っていれば評価せず、逆にプロセスが正しければ結果が伴わなくても叱らなかった。自分も、こちらの考え方を支持する。
なぜプロセスが大事なのか?
小田利勝神戸大学名誉教授は、確立と統計の研究から派生されて、ギャンブルの研究もされているが。ギャンブルに必勝法はない。あるとすればイカサマだろう。阿佐田哲也御大の名作『麻雀放浪記』でも、イカサマ技の戦いだ。そこに、人間の心に踏み込んだ駆け引きがある。だが、ギャンブルに強い人には、共通点があるそうだ。
■ブレない心とプロセス論■
結論から言えば、自分の方法論がある人。
こういう局面ではこうする、という経験値から導かれた方法論がある人、と敷衍しても良いのだろうけれど。運とか勘とかではなく。なので、目先の勝敗には一喜一憂しない人が、トータルでは勝ち越し、収支も黒字になる。そう、これがプロセスを重視するということ。プロセス=過程が正しければ、あるていど勝ち越せる。
名軍師・孫臏の兵法も、これに近い。
馬を三組ずつ出す競馬で孫臏は、上等の馬が出る競走に下等の馬を、中等の馬が出る競走に上等の馬を、下等の馬が出る競走に中等の馬を当て、二勝一敗で主人を儲けさせた。運に頼った三戦三勝ではなく、方法論を伴った二勝一敗に価値がある。相手の力量を見誤って一勝二敗になっても、原因を探求しても、悔やまないことが大事。
プロ野球でも、捨てゲームを作れる監督が強いと言われる。
負けても仕方がないと割り切り、主力を休ませる試合を定期的に挟む。ただ、最初から負ける前提ではなく、新人投手を試してみたり、実験的な打順を組んだり、スクイズやバスターエンドランなどの戦法を敢行してみたり、配置転換を試みたり。ここでもテーマを持って試合する。
■勝負師の勘働きとは?■
ただし、この方法論には問題もある。
例えば、悲運の名将と呼ばれた西本幸雄監督。8回も日本シリーズに出ながら、ついに日本一になれなかった。西本さんは短期決戦に弱かった。打撃を中心にエースを立てて戦う手法は、長いシーズンにはトータルで結果を残すが、最大7戦の日本シリーズでは、水物と呼ばれる打線は、不調の波から抜け出せず敗れることが多い。
王貞治監督も、クライマックス・シリーズに弱かった。
王監督は一本足打法を信念を持って磨き上げ、王シフトにも屈せずホームランを量産した人。それゆえ、短期決戦で不調の松中信彦選手を四番に据え続け、2004年も2005年も、苦杯を舐めさせられた。いや、ホークス自体がCSの呪いと呼ばれるほどに、短期決戦に弱くなってしまった。
臨機応変、というのは難しい。
アメリカでも、マネーボール理論で一世を風靡したオークランド・アスレチックスの、ビリー・ビーンGMは、確かに1997年のGM就任から7回の地区優勝に導いたが、ワイルドカードの3回を含め10回のチャンスでリーグ優勝は0回。もちろん、ワールドシリーズも優勝なし。そう、短期決戦に弱いのだ。
■短期決戦の神様と運■
日本プロ野球史上最高に短期決戦に強かったのが三原脩監督。
この人について語ると止まらないけれど、とにかく日本シリーズでは、無類の強さ。川上哲治監督も11回のリーグ優勝で11回の日本一だから、勝率100%だけれど、ONという史上最強コンビを擁した巨大戦力で、三原脩監督とは比較が難しい。3球団で日本一は、青田昇さんも絶賛の名将。
その三原脩監督が重視していたのが、ツキ。
三原メモと呼ばれる、生前に残した野球のメモは、後に魔術師の異名を継承する仰木彬監督が参考にしたほど、緻密な野球理論だったが、それでも三原脩監督は運とかツキを重視した。戦場で多くの戦友が死んでいく姿を見てきて、生きるか死ぬかの紙一重を分かつ、不思議なアヤを意識せざるを得なかったのだろう。
実際、三原監督は戦場の生死をしばしば語っている。
それゆえ、ジンクスも大事にした。霊柩車に逢うと勝てる、などが有名だが。三原・水原・鶴岡・西本氏らを尊敬していた野村克也監督も、戦場での体験の差を、自分たち世代との差と語っておられた。その野村監督も、ID野球を説きながら、ジンクスは幾つも大事にしていた。女性の小物を持つと勝てる、とか。
■人事を尽くして…■
短期決戦に勝つ人は、天運を持ってる人なのだろう。
であるならば、凡人は乾坤一擲の勝負に出ず、勝てる戦いだけをする、負ける戦いをしない、というのが大事。逃げるは恥だが役に立つ。三十六計、逃げるに如かず。ムダな英雄願望は不要と割り切るのも、必勝法だ。いや、不敗の法か?
百戦百勝は善の善なるものにあらざるなり。
孫子の兵法の、戦闘理念である。これを2500年も前に言い切ったからこそ、孫子は今でも名著たり得る。自分たちはつい、百戦百勝したくなる。だがそれは最善策ではない。負けないことが重要。負けない、は勝つとは似て非なるモノ。日清日露の成功体験が、二次大戦の大敗を呼び込んだように。勝利は時に、甘美な毒になる。
戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。
コレは理想だが、なかなかそうはできない。自分も、要らんケンカをして負けっぱなしだし。ただ、こういう知識を持っていなければ、百戦百敗だったろう。0勝0敗で不敗が、凡人の理想だけれど。せめて7勝8敗の、負け越したけれど惜しいところまで行ったぐらいに留めて置けたらと思う。
どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ
売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ