芸人の引き際
◉笑福亭鶴瓶師匠が、上島竜兵さんの件について、間接的に語ったそうです。関西の落語家には、やはり桂枝雀師匠のことが、頭をよぎったのでしょうね。自分のような市井の落語ファンですらショックだったのですから、親しい人ならなおさらでしょう。人を楽しませる芸人の、人生の引き際について、やっぱり考えさせられてしまいます。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、桂枝雀師匠のイラストです。
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枝雀師匠が亡くなって、もう23年。あれは1999年のことだったんですねぇ。なのに、YouTubeで枝雀師匠の落語を見ると、ちょっとだけ切なくなるんですよね。その内容が面白ければ面白いほど、この面白さを生み出すために命を削って苦悩されていたという部分が、頭をよぎってしまうので。現実問題、人を笑わせるのは、本当に難しいです。
命を断つ芸人も、昔から多いです。表向きは病死ということになっていても、自殺を噂される芸人も多いですからね。鶴瓶師匠の場合は、師匠である六代目笑福亭松鶴、実に見事な芸人の引き際を見せましたからね。六代目の辞世の句は「煩悩を 我も振り分け 西の旅」です。これは実父でもある五代目松鶴の「煩悩を 振り分けにして 西の旅」を踏まえたもの。
でも、実際の最後の言葉は「ババ(ウンコ)したい」だったと、鶴瓶師匠がよくネタにされています。これには諸説あって、「戦争や!」とうわ言で叫んだという医者の証言もあったりしますが。いずれにしてもこの話を聞いた人は、「破天荒が服を着て歩いてたような六代目らしいなぁ」と、苦笑しながらもその至芸を思い出すことでしょう。
そして弟子たちも、師匠の闘病生活を語るよりは、実に楽しそうに生前の六代目の乱暴狼藉を、語っておられますね。寝タバコの火事から焼死してしまった深見千三郎師匠に比較して、それは芸人として理想的な幕引きではないかと。その深見師匠を「死にゃあ焼き場で焼いてくれるのに、何も自分で焼くこたぁねぇじゃねぇか」と、毒舌で送ることで中和した、ビートたけしさんもまた弟子として素晴らしいですが。
やっぱり、自分のことを思い出すなら、思わず笑いが──苦笑いでも失笑でも──こみ上げてくる人生でありたいですね。芸人なら尚更、そう思うでしょう。