仲本工事さん死去
◉報道が、当初は重傷だったのに、いつのまにか重体になり、しまいには意識不明の重体になったので、嫌な予感はしていたのですが。残念です。正直、志村けんさんが亡くなったことさえ、未だに実感がないのに。交通事故での、突然の死。急性硬膜下血腫、脳内で出血して脳を圧迫する感じで、格闘技や交通事故などでよく聞く症状ではありますが。村上もとか先生の『JIN』でも読んだ記憶が。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、ザ・ドリフターズのおなじみのイラストです。
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■主役も張れるバイプレーヤー■
これでザドリフターズも、荒井注さん、いかりや長介さん、志村けんさんに続いて、四人が鬼籍へ。半分以上が向こうに行ってしまいました。こぶ茶バンドも、これで解散ですね。残された加藤茶さんと高木ブーさんがコメントを後日発表ということですから、お二人も突然のことですぐにコメントを出せる状況にないのでしょう。ザドリフターズの結成は1965年、50年以上のお付き合いですからね。
仲本工事さんといえば、ドリフターズの中ではバイプレイヤーでしたが。加藤茶さんが同乗していた車が事故を起こし、しばらく謹慎している間、加藤さんのポジションを仲本さんが代わりに行ったんですよね。でもその間、視聴率は全然落ちず。いかりや長介さんも、その実力を自伝『だめだこりゃ』で、高く評価されていました。フロントマンとしては、いかりや・加藤・荒井(志村)で廻していても、実力者が控えているドリフの厚み。
■ドリフの笑いと個性■
そもそも全員集合は、自分が生まれた年に始まっているんですよね。これは、サザエさんのアニメもそうですが。なので自分の世代は、幼稚園から小学生の間はドリフターズが笑いの代名詞でした。荒井注さん時代のドリフターズも、ギリギリ覚えています。自分よりもちょっと上の世代───昭和33年から35年ぐらいの生まれの世代にとっては、笑いの基本はドリフで学んだという人は多いのではないでしょうか?
漫画家の浜岡賢次先生など、お笑いのベースがドリフですからね。個々の芸人のキャラクター性に依存していたひょうきん族の笑いは、ある意味で普遍性がないんですよね。ビートたけしさんがやるから、明石家さんまさんがやるから面白いギャグであって。でも、放送作家がアイデアを出し合い作り上げたドリフの笑いは、他の人間がやっても笑える構造になってるんですよね。その上で個々の芸人の個性が活きてくる。
仲本工事さんだと、学習院大学卒業ということでインテリキャラを受け持っていた部分があります。メガネという、知性のアイコンもありましたしね。ドリフの笑いとしては、都大会でも入賞した体操の特技を生かした。芸と個性って、そういうものなんですよね。ドリフの中でも大柄ないかりやさんが暴君キャラで、小柄な加藤さんがからかうキャラクターで。人を笑わすことは本当に難しいのですが、ドリフターズには本当に多くのことを学ばせていただきました。
■寄り添う優しい心■
全員集合が終了して、加藤志村派といかりや派とに分裂した時、『ドリフ大爆笑』で仲本工事さんは、どちらの方のコントにも参加されていた記憶があります。元々バイプレーヤータイプだったので、そこは飄々とこなされていたのでしょう。しかも、ドリフの中でも音楽性が強かった3人で再び、こぶ茶バンドを組んで、活動もされていましたからね。いわばドリフの接着剤みたいなポジションでもあられたのでしょう。
個人的には、こちらのツイートが仲本工事さんを最もよく表してるように思います。いろんな意見があり、いろんな対立があり、でもその対立をなだめ、寄り添う気持ちをお持ちだったからこそ、ドリフターズ内部の対立もうまく収め、潤滑油的な役割を果たしておられたのでしょうね。このツイートから2ヶ月ちょっとで、まさかは仲本さん自身が去ることになるとは。でも、とても大切な言葉を残して下さったと思います。
仲本工事さんのご冥福をお祈りします。合掌