生麦事件とリチャードソン
◉上京して、厚木での大学時代は、引っ越し屋のアルバイトを長くやったのですが。その時たまたま生麦を通りかかり、ここがあの生麦事件の……と感慨深かったものです。剽悍な薩摩隼人が、尊皇攘夷の血気にはやって外国人を惨殺し、薩英戦争にまで発展したというイメージで語られがちな事件ですが。それは多分に、薩摩藩へのイメージが先入観になっている部分が大きい気はしますね。職場で喧嘩っ早い県民性でもないですから。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、現在の生麦だそうです。馬上安全、というのが皮肉ですが。
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生麦生米生卵、という早口言葉がありますが。これは、生麦事件を起こした島津久光の行列が、保土ケ谷宿の陣屋に泊まると、いつ外国人が報復に来るかわからない、なので兵糧として生米を用意させ、これで途中の宿場を飛ばしてより遠くに移動し兵糧とすることを目論んでいたとか。また、薩摩藩の参勤交代では、旅立つ藩士に家族が、ニンニクを卵黄に漬けて滋養食とした、にんにく卵黄発祥の地なんですが。これを用意するため、多量のニンニクと生卵を用意するよう命じたため、「生麦生米生卵」の早口言葉が生まれたとか。もちろん、ウソです。
そもそも、薩摩藩=血気盛んなバーサーカーの国というイメージがありますが。宝暦治水をやり遂げた、忍従の県民性。元記事を読めば分かりますが、多少の無礼は許していた部分はあるんですよね。斬られたリチャードソン自体に、過去の経歴から東洋人を軽んじる部分があったのが、不幸の始まりのようです。大名行列を横切ったら切捨御免は、当時の常識ですし。別の外国人はちゃんと馬から降りて脇に退き、何のトラブルもなかったのですから。
個人的に気になるのは、この時リチャードソンが乗っていた馬の種類ですね。現在のサラブレッドやアラブの馬は、まだいなかったことでしょうから。日本在来の小柄な馬を借りていたのか? しかしそれでも馬上の人物にジャンプして斬りかかり、内臓がはみ出すような大怪我を負わせたのですから、さすがに薬丸自顕流。この時使われた技は、抜きと呼ばれる下から上に切り上げる特殊な抜刀技。
吉村昭先生が取材で鹿児島おとずれ、当時の薬丸自顕流──正式には野太刀自顕流の使う刀を見て、小説の表現をわざわざ長大な刀と改めたほど、三尺三寸の太刀。ちなみにこの生麦事件が伝わると、攘夷派の連中のみならず多くが、よくぞやったさすが薩摩藩という感じで、溜飲を下げたとか。この国は聖徳太子の昔から基本的に、尊皇攘夷の国ですから。生麦事件の結果薩英戦争に至り、これは欧米列強にはまともに戦えないと維新開国に方向転換したのですから、何が幸いするか分かりませんね。
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