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Apple幹部も「バグだと思った」M1 MacBookのバッテリー性能

◉AppleM1チップを搭載したMacBook Airですが。さすがにバッテリー駆動時間やベンチマークテストの数値は一部誇張だろうと、長年のApple信者である自分ですら思いましたからね。実際、iOSとかMacOSはギークベンチのテストでは高めの数値が出るとか言われていましたから。しかし、その後の検証とかで、最大15時間のワイヤレスインターネット・最大18時間のApple TVアプリのムービー再生という数値はウソではないと、どんどん報告が上がってきましたから。

【アップル幹部、M1 MacBookのバッテリー持ちが良すぎて「バグだと思った」と振り返る】Engadget Japanese

アップル独自開発のM1チップを搭載したMacBook AirやMacBook Proはバッテリー持ちの良さが好評です。そうしたM1 MacBookにつき、アップル幹部も当初は「バッテリー残量表示のバグだと思った」との逸話を語っています。
(中略)
Tom's Guideが独自のバッテリー持続テストを行ったところ、MacBook ProはWebサーフィンで16時間25分という持続時間を記録したのに対して、インテル製チップ搭載の旧モデルは10時間21分だったとのことです。

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■違いすぎると疑う心理■

そりゃあ、10時間21分(=621分)が16時間25分(=985分)に増えたら、バグだと思うでしょうね。なにしろ1.586倍ですから、ほぼほぼ1.6倍。普通は1時間ぐらい増えただけでも、大きなセールスポイントですから。2時間も違ったら、大々的に喧伝する内容。3時間違ったら、これは軌跡だ大ヒット間違いなしと思うでしょう。でも6時間も違ったら、それはバグだと思うでしょう。ここらへん、人間心理としても興味深いですね。

もともとAppleは、低消費電力のARM系のCPUを独自設計することで、iPadやiPhoneに使うことをずっと進めていましたから。その成果としてApple Aシリーズが生まれたのですが。コレ自体はどうやら、MOTOROLA・IBMの開発したPowerPCから、intelのx86系のCPUに切り替えたときから、同時進行的に動いていたことがわかります。Appleの深謀遠慮がほぼ10年の歳月を積み重ねて、大輪の花を咲かせたということ。

■Appleと島津斉彬公の教え■

Appleがintel製CPUへの移行を発表したのが2006年でした。2010年1月27日に第1世代のiPadとともにApple A4チップが発表され、これがAppleM1チップとしてMacBookファミリーに搭載されたのが2020年。まさに10年越しの執念が実ったと言えます。また、発表されたときにすでにA4であったことで、プロトタイプのA1からA3までがあったことを想定すると、やはりintel移行と同時に動き出していたのでしょう。勝海舟が薩摩藩主・島津斉彬公について、こんなことを語っています。

「ある時おれは公と藩邸の園を散歩していたら、公は二つの事を教えて下すったよ。それは人を用いるには、急ぐものではないという事と、一つの事業は、十年経たねば取りとめの付かぬものだという事と、この二つだったっけ」

さすが、英明を謳われた名君中の名君、島津斉彬公です。この一事を以てしても、その英明ぶりが過大評価ではないことがよくわかります。150年以上前の人物の教えが、最先端のIT企業の経営戦略と同じなんですから。四半期決算に一喜一憂し、大学に即戦力人材を育ててほしいなどと、目先の利益を老いがちな現代日本の経営者に、爪の垢を煎じて飲ましてやりたいですね。まさにAppleは10年以上かけて、自社の太い屋台骨を開発したわけで。

■プランBを用意していたApple■

そもそもAppleは、ずっとCPUに悩まされてきた企業でした。スティーブ・ジョブスもMacintoshを「HONDAのエンジンを積んだポルシェ」と自虐していました。ジョブズが理想としたパフォーマンスのためには、圧倒的にエンジンパワー、つまりCPUの処理能力が足りなかったわけで。そこで開発されたCPUが、Apple・IBM・MOTOROLA連合のPowerPCだったのですが……。コレ自体は素晴らしいCPUであったと、自分は今でも思っています。

スティーブ・ジョブスはこれからはノート型パソコンの時代を予言し、実際にその予言はあたったのですが。PowerPCは処理能力に優れていましたが、低消費電力低発熱の面では改良が遅々として進みませんでした。これが、ビジネスチャンスの喪失とみなされ、当時は低消費電力CPUの開発に優れていたintelの、x86系のCPUへの移行を促したのですが。でも同時に、自社独自の設計のCPUに舵を切ったのが、Appleのすごいところですね。悩まされ続けたCPUについての、決断。

■HondaJetの挑戦■

自分はここで、あるメーカーの姿も思い出します。オートバイメーカーであったHONDAが、1962年(昭和37年)に四輪車への進出の意向を表明するのですが。この年、航空機技術者を確保するために動き出しているんですよね。四輪車進出さえ成功していないのに何というムダと、アホな経営者は言うでしょう。でも、そうやって布石を打ち、1964年には本田航空を設立し、ホンダエアポートを整備しているんですね。

Wikipedia先生によれば、2003年に実験機(POC)の初飛行に成功。2006年に超軽量ジェット機への本格参入を表明、新型機HondaJetを公表。2014年に量産機の初飛行に成功、翌2015年に米国連邦航空局(FAA)より型式証明(TC)を取得、やはり具体的に動き出してからでさえ、10年以上の歳月をかけているんですよね。「経営者とは、一歩先を照らし、二歩先を語り、三歩先を見つめるものだ」とは、HONDAを世界的企業に育てた名参謀・藤沢武夫副社長の言葉。噛み締めたいですね。

自分は経営者じゃないですが。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ