小林邦昭さん死去
◉ああ、これでダイナマイト・キッド、ブラックタイガー(マーク・ロコ)に続いて、初代タイガーマスクの好敵手がまた一人、鬼籍に入りました。100年に一人の天才であった佐山サトルさんですが、天才が一人でブームを作ることは、難しく。匹敵するライバルがいてこそ、その対戦に熱が宿るわけで。その意味では、小林邦昭さんは新日ストロングスタイルの僚友であり、立ってよし寝て良し、飛んでも蹴っても対応できる、まさに好敵手でした。
Jrヘビー級でしたが、ビルドアップされた肉体に、精悍なマスク。新日本の正統派テクニシャンで、マーシャルアーツ・スタイルのパンタロンで、ソバットやスピンキック、ニールキックなど蹴り技も豊富。もちろん、メキシコのルチャリブレも海外武者修行で経験していましたから、タイガーのスタイルに一番近いのが、実は小林邦昭さんでした。そして、自分自身で開発した、オリジナル技のフィッシャーマンズ・スープレックス・ホールド。ブリッジの美しさと、持ち上げて叩きつけるスタイルは、説得力がありましたね。タイガーマスクから、幻の3カウンをだったことも。タイガースープレックスに対抗する、切り札でした。
小林さんの場合、タイガーマスクの象徴でもあった黄金のマスクを、試合中にはごうとする。その反則行為が、また観客をヒートアップさせ。正統派のままなら、それこそスティーブ・ライトなどとキャラが被ってしまいますからね。マスク剥ぎという行為と、そのインパクトの大きさ。それも、申し訳程度に剥ぐのではなく、本当にマスクが大きく裂かれて、顔のかなりの部分が見え。その衝撃と緊張感たるや、リアルタイムでテレビを見ていた自分たちは、もうハラハラ・ドキドキ。意外と試合数は少ないのですが、全試合が名勝負と言っていいぐらい、スイングしていました。
はい、ダウト。凱旋帰国直後は、白と黒のハープ柄のタイツでしたね。それで、タイガーマスクとも試合していましたし。途中から、赤いパンタロンスタイルになって、以降はこのスタイルが定着。タイガーマスクが青基調のロングタイツで、ブラックタイガーは黒と灰色基調のパンツとタイツで、上半身もグレーのランニングシャツ。ダイナマイト・キッドは灰色や青系統のロングスパッツだったので、赤の小林さんのパンタロンは、ライバルとして良く棲み分けられたものでしたね。
思えば、狭山タイガーのプロレス復帰のきっかけも、小林さん。エキジビジョンでリングに上った最初の試合、佐山さんは格闘技スタイルでプロレスをする気がなく、キックで小林さんが失神するアクシデント。結果的に、小林さんに恥をかかせてしまった佐山さんは、次の試合ではきっちりプロレスを見せるのですが……。これがもう、ブランクをまったく感じさせない、天才は天才なんだと、再認識させる試合。見に来たファンが思わず「全部許すから、帰ってこい!」と絶叫したほど。若手時代から、切磋琢磨した最高の好敵手に、佐山さんもプロレスの楽しさと、ファンの温かさを思い出したのか。以降は本格復帰。
小林さんと言えば、大食漢揃いの新日本プロレスの中でも、一番の大食いだったそうで。国鉄がまだあった時代、食堂車の全メニューを制覇したとか、武勇伝がありますね。ちゃんこも上手く、周囲の評判は好意的なものばかりですね。前田日明氏が長州力顔面襲撃事件を起こして、新日本プロレスを追放され。高田延彦・山崎一夫選手が追随して新日本から離脱する時。小林邦昭選手と山崎一夫選手のタッグマッチが、不穏試合になったんですよね。真相は不明ですが、出ていく山崎選手らに、そうやって抗争して出ていったというアングルを提案し、彼らのハナムケにしたとか。
そういう気配りや思いやりができる人だから、愛されたのでしょう。ただ、優しだけでなく、毅然と叱ることもあったようで、そういう部分もあってか、新日本プロレスを離脱した佐山さんも、一緒にやらないかと誘ったそうですが。維新軍でも大活躍されましたし、ある意味でJrヘビーというジャンルを、確立された一人。ガンは前から公表されており、手術もされていて。なので、ある程度は共存できているかなと、勝手に思っていたのですが。引退後は、新日本プロレスの道場の、管理人という立場で、後進の指導にも当たっておられましたし。
小林邦昭さんの御冥福をお祈りします。合掌