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アニメージュとジブリ展とアニメ専門誌興亡史

◉『アニメージュとジブリ展』がTwitter上で話題になっていました。そこで、藤津亮太氏のアニメブームの考察が、イロイロと古参のアニメファンの記憶を刺激して、議論が湧き上がっていました。自分はちょうど、ほぼ中学から高校時代にアニメ専門誌の創刊ラッシュと休刊ラッシュの時期に被っていますので、その頃の思い出話を、幾つかツラツラと書いてみたいと思います。

【『アニメージュとジブリ展』に潜んでいた「アニメブーム終焉」の真実(藤津亮太)】QJWeb

緊急事態宣言を受けて開催中止となった『アニメージュとジブリ展』だが、アニメ評論家・藤津亮太は、展覧会の導入部分に展示されたグラフが「アニメブーム」について大きな真実を伝えていることに気づいていた。「アニメブーム」は1980年代半ばには終わっていた?

自分も、ある時期までアニメージュは購入していたのですが、ジブリ推し宮崎駿監督作品推しが鼻について、購入を辞めてしまったクチです。

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■リアル路線のアニメブーム■

思えば、自分が小学生の時に『宇宙戦艦ヤマト』が1974年に始まり、コレがアニメブームの嚆矢となります。アニメ自体はずっと人気だったんですが、テレビ漫画という扱いで、1975年の『まんが日本昔ばなし』などにも、その名残がありますね。そういう意味では、大人の鑑賞に堪えられるアニメ、という意味で宇宙戦艦ヤマトのリアル路線が生み出したブームと言えます。

宮崎駿監督の才能を世に知らしめた『未来少年コナン』が1978年に、富野由悠季監督の『機動戦士ガンダム』が1979年に始まり、アニメ誌の創刊ラッシュが始まります。とはいえ、宮崎駿監督の評価は一部に留まっていた感じで、ある意味でライバルである富野由悠季監督のガンダムが、大ブームを起こした面が強いです。なにしろ、少女誌の週刊少女フレンドでカラー特集が組まれたほど。

■富野❌️宮崎ライバル史■

宮崎駿監督は1979年の『ルパン三世カリオストロの城』が大コケし、1984年の『風の谷のナウシカ』まで、業界的には干されるわけですから。もっとも、当時小学生だった自分や周囲のガキはコナンすげぇ、カリ城すげぇで、宮崎駿監督の評価が世間一般では低かったことなんて、知りもしませんでした。実は宮崎駿監督、1977年の劇場版の宇宙戦艦ヤマトとガンダムに挟まれて、むしろ当時は評価が低かったんですね。

興味深いのは、テレビ版のヤマトは、視聴率が低迷していたわけで。理由は、裏番組に『猿の軍団』と『アルプスの少女ハイジ』があったため。そう、高畑勲・宮崎駿コンビの傑作のため、アニメファンの奪い合いが起きてヤマトは低迷。ところが、再放送で人気爆発、社会的なブームに。ここら辺、機動戦士ガンダムも人気低迷で予定の話数より短縮され、再放送で人気が出たパターンでしたが。

■創刊ラッシュ休刊ラッシュ■

さて、話をアニメ誌に戻して。ヤマトとガンダムが起こしたリアル路線は、アニメ専門誌の創刊ラッシュを引き起こします。主要なアニメ誌の創刊と休刊を以下に書き出してみました。といっても、数が多いので、自分が買ってたアニメ誌を。正確には、購入して友人と交換して読んでたって感じですけどね。それだけ、鹿児島の片田舎でもブームだったんですよね。ガンダムからマクロス、ダンバイン、Zガンダムまで続きましたし。

★月刊OUT……1977年創刊/1995年休刊
☆アニメージュ…1978年創刊
★アニメック……1978年創刊/1987年休刊
★ジ・アニメ……1979年創刊/1986年休刊
★ファンロード…1980年創刊/2003年休刊/2009年再休刊
★マイアニメ……1981年創刊/1986年休刊
☆アニメディア…1981年創刊
☆ニュータイプ…1985年創刊

月刊OUTはアニメ専門誌ではなく、サブカル誌としてスタートしますが、宇宙戦艦ヤマトの特集での受けがよく、アニメ誌にシフトします。元アウトの編集者から、独立した植田克己氏が創刊したのがファンロードで、サブカル誌としての色を濃く残していました。漫画やSFやプロレスや鉄道とか、ごった煮感がある雑誌でした。こうやって見ると、78〜81年に創刊ラッシュがあり、85〜87年ごろに休刊ラッシュがあったのがわかります。

■漫画のアニメ化ブーム■

他の方も分析されていましたが、アニメブーム自体は堅調だったのですが、ヤマトからガンダムに続くリアル路線の後、漫画のヒット作がアニメ化されるブームがきます。『うる星やつら』のヒットと相乗効果を受け、小学館サンデー系の作品が次々とアニメ化され、アニメに親和性の高い細野藤彦先生の作品はもちろん、『六三四の剣』や『ふたり鷹』などまでアニメ化されます。この路線は名探偵コナンや現在も引き継がれていますね。

ただ、本当に大きかったのは、週刊少年ジャンプ作品のアニメ化。それこそ、『ハイスクール!奇面組』など、秋元康氏と組んで、大人気でしたし、猫も杓子もアニメ化された印象です。でも、ここら辺の作品って、オリジナルアニメのリアル路線が好きな、コアなアニメファンには受けず。また、大手出版社が絡む作品のため、掲載に制限が付き、コレが雑誌の方に竿を指した部分も。

■コンテンツ囲い込みの時代■

そんな中で、宮崎駿監督とスタジオジブリというキラーコンテンツを囲い込んだアニメージュは、その宮崎駿監督推しが鼻について自分は購入を辞めてしまいましたが、結果的に強かったわけで。ここら辺、ファミコンからスーパーファミコンまでは業界を牽引した任天堂が、PlayStationの台頭で冬の時代を迎えたとき、アーケード時代からのマリオというキラーコンテンツを持っていたが故に、乗り切ったのに似ていますね。

そして、旧来のアニメ誌が休刊ラッシュに入った時期に創刊されたニュータイプは、実はアニメージュの手法をマネしていた訳で。サンライズと強い結びつきを作り、同時に富野由悠季監督の小説や永野護氏に漫画の連載をさせてナウシカ的な部分をマネし。同時に、ゆうきまさみ先生らにエッセイを依頼し、割とサブカル食も排除せず。KADOKAWA自体が持つラノベのレーベルとか、その後にアニメ化の流れも上手くハマった部分も。

■オリジナル作品の反攻■

さて、自分はすっかりアニメ専門誌は読まなくなってしまいましたが。アニメ自体は忙しかった編集者時代より、今の方が見ていますね。Amazon Prime VideoとNetflixのおかげで、過去の名作アニメも含めて、かなり観られますし。これらは、パソコンやタブレット型で仕事しながらでも、ながらで鑑賞できますからね。おかげで、『名探偵コナン』や『鬼灯の冷徹』のアニメを、繰り返し鑑賞しています。

で、近年はオリジナルアニメにも傑作が増えました。庵野秀明監督が、エヴァンゲリオンまでアニメは死んでたというのは、オリジナルアニメのOVAへの移行と、テレビでのリアル路線の不調という意味だと、自分は解釈していますが。その意味では、今は原作付きアニメもオリジナルアニメも、バランスよいと思うんですけどね。ただ、アニメ業界的にはオリジナルに拘りがあるのでしょう。

■アニメ専門誌の未来予想図■

自分などは、京都アニメーションが独自の小説レーベルを立ち上げ、そこから『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のいうな傑作が生まれたように、アニメ制作会社が小説や漫画のレーベルを持つのはありだと思いますし。逆に出版社がアニメ制作会社を傘下に収めるのもありだとは思いますが。ただ、コレは鳥嶋和彦編集長時代にジャンプがガイナックスに接触したけれど、上手く行かなかった部分もあるようで。

そうこうしてるうちに、Netflixがアニメ制作会社にオリジナル作品を依頼する時代に。ただここら辺も、岡田斗司夫氏が指摘するように、アニメ制作会社の独立志向というか、独自コンテンツで一発当てたいという志向が強くて、上手くいっていないですね。アニメ制作会社とアニメ専門誌の関係性は、難しいですが。京都アニメーションが雑誌を立ち上げたら、面白そうではありますが。

雑誌に立ち位置が難しそう。むしろWeb雑誌に可能性がありそうな。でもそれは、総合的な雑誌の形態ではなく、もっと狭い読者を相手にした、ニッチを狙うモノになりそうな。それこそ、集英社・講談社・小学館クラスでも、ウェブ系アニメ誌を自社コンテンツ中心で作り、体力のあるアニメ制作会社はこれまた自社でWeb雑誌として立ち上げる。ウェブコンテンツと雑誌の、境界線が見えづらくなるでしょうけれど。それで良いような気がします。

とりとめも無い話になりました。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ


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喜多野土竜
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