ススキノ頭部切断殺人事件の猟奇性
◉札幌での、頭部切断殺人事件なのですが。なんかもう、異常な事態になっていますね。ハッキリ言えば、アメリカ猟奇殺人界のスーパースター、エド・ゲインの猟奇性レベルに。そして、構造的には綾瀬女子校生コンクリート詰め殺人事件や、1996年の東京湯島・金属バット殺人事件などとも、相通じるというか……。正直、かなり気持ち悪い事件になっていますので、リンク先とか読み進める方は、自己責任でお願いしますm(_ _)m
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、札幌のイメージイラストです。
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■反権力とα症候群■
詳しくは、上記リンク先の全文を、ぜひお読みいただくとして。金属バット殺人事件というと、1980年に起きた、就寝中の両親を予備校生の息子が金属バットで殴り殺した、神奈川金属バット両親殺害事件が有名ですが。上で言及したのは東京湯島・金属バット殺人事件です。東大文学部倫理学科を卒業し、マルクス主義に基づいた出版物を主要分野とする青木書店という左翼系の出版社に勤めてた父親が、家庭内暴力をふるう中学生の息子を、金属バットで頭をめった打ちにして殺した1996年の事件。この事件、なぜか検索しても、なかなか情報にヒットしません。綾瀬女子校生コンクリート詰め殺人事件と同じく、情報を隠そうとする人達がいるのか?
この金属バット殺人事件、息子の家庭内暴力に対して、カウンセラーの逆らうなと言うアドバイスを真に受け、一方的に暴力を受け続け、ついに耐えられなくなって殺人へ。何やら、一度も娘を叱ったことがないという、今回の事件の母親の証言と、重なりますね。子供のワガママを一方的に聞き続けた結果、子供がいわゆるアルファ症候群の犬のようになってしまった訳で。なぜこうなるかというと、左翼思想の影響を受けると、権力的なモノすべてに反対するという、奇妙な思想に取り憑かれるんですよね。70年安保反対闘争の学生が、反米反スタと口走ったように。
■反米反スタと教育■
反スタとは、反スターリンの意味で、フルシチョフ書記長によるスターリン批判の結果、米帝もスターリンも権威的なものを我々は批判するぜと、左翼学生が反米反スタを掲げたわけです。一見すると「右も左も批判する=中道」に見えますが。権力的なモノすべてに反対するというのは、家父長制とかパワハラ的なモノに反対している分には良いのですが、親子関係では未熟な子供を教導するのは権力的だ、友達のような対等な親子関係が理想とか言い出すわけです。コレは、星一徹と星飛雄馬のような、抑圧的な親子関係への反動の面もあるのですが。
でも、子どもの人権や人格を認めること・尊重することと、育児や教育は違いますよね? 感情のままに動こうとする動物同然の子供を、社会生活を営むに足る存在に、教導する必要がありますし、そこにはある主の強制力が必要。それが行き過ぎて、躾という名の虐待に至り、子供を死に至らしめることもありますから、難しいのですが。全否定や全肯定のような、極端な思考に走るのは、やはり危険です。この親のように子供の奴隷になる親も、秋葉原通り魔事件の加藤智大死刑囚の母親のように子供を奴隷にするのも、間違いです。歪んだ人格に育ったら、教導するのが親の責任ですから。
そういえば、ある凶悪事件を起こしたガキどもが、ビートたけしさんに責任転嫁しようとしたことがありました。コラムを連載されていた誌面で、反論されていた記憶が…。そのガキどもも親が放任していて、捕まったら「親には殴ってでも止めて欲しかった」と、親にも責任転嫁していましたっけ。殴って止めようとしたら、10倍殴り返すようなガキが、なに言ってると思ったモノです。国家権力という最高の強制力をもってしか、止められなかったでしょう。国際テロリストになった人間とか、国家権力にさえ逆らいましたが。
コチラの動画でも、森永康平氏も戸惑っていますが。
■共産主義思想の闇■
エド・ゲインは、母親が性的潔癖症とでも言うべき、歪んだ人格であり。それが子どもの教育でも発揮され、結果的に彼は、アメリカの猟奇殺人犯でも飛び抜けた存在になったのですが。今回の事件でも、死体への異常な執着とか猟奇性は、エド・ゲインに匹敵します。はたして、このまま公判を維持できるのか、自分にはわかりません。責任能力の有無が争点になり、両親は有罪でも主犯である娘は無罪、なんてことになりそうな感じですね。本人は、多重人格的な言動も見られるようですし。いったいどういう展開になるのやら。
さて、綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件と、東京湯島・金属バット殺人事件、そして今秋の事件と、共通するのは何でしょうか? はい、3つとも、共産党員かそのシンパを疑われる家庭で起きた、という点ですね。でも共産主義思想が、ユダヤ・キリスト教の千年王国思想を焼き直した疑似科学、むしろ純化された宗教だという事実を知っていれば、エド・ゲインからススキノ頭部切断殺人事件までの、点と線が繋がります。興味がある方は、こちらのnoteも参照してくださいませ。
共産主義者や、共産主義思想が世俗化して薄まった左派の思想を持つ人が、しばしば性的な猥褻事件や、インモラルな事件を起こす例は、なる氏がまとめているように、けっこうあります。
なぜ、彼らは正義を口にしながら、こんなインモラルな事件を起こすのか? ある種の知性の高さが、脳の暴走を生んで、猟奇的な事件や破廉恥な事件を起こす面はあるのかもしれません。人間は、情報を消費すると、ラーメンハゲこと芹沢氏が語っていますが。性的な犯罪に関しても、情報を消費している面を、たぶんに感じます。こんなインモラルな事をやってる自分スゲェで、興奮してる面が。
■教育学の敗北か?■
最後に、X(旧Twitter)で流れてきた、柴田英里さんの、コチラの意見を転載しておきます。戸塚ヨットスクール自体は、その凶悪なイメージとは裏腹に、立川談志師匠に無理やり体験入門させられた弟子たちが、すっかり意気投合して、体験スクール終了時には別れを惜しんで涙したとか。そういう意味では、α症候群となった子どもの矯正には、一定の効果や価値はあったのでしょうけれども。でも、教育の専門家ではない戸塚校長に対して、多くを求めるのはやはり間違いです。そこは、教育学がきちんと研究し、対案を出すべき課題でしょうね。
教育というのは、最終的には親が責任を持つものであり、今回の件はついに犯罪を犯すまで、止まらなかった事例であり。たぶん今後も、犯罪によってそれ自体が発覚することは、多いでしょうね。娘に医者になることを強要し、9浪させた母親とか、そもそも社会常識の部分から欠如しているのですから。娘としては、もう殺すしかなかった面があり、情状を酌量されて減刑されたのですが。でも、その事件も加藤智大死刑囚の家も、父親が気が弱かったり、妻の異常な行動を止められず。ここでもまた、権力というか強制力を、全否定した結果の歪みです。
70年安保で反米反スタを唱え、教育界に食い込んでいった左派の、その理論の歪みが今後も、表れる事件が続きそうな気がします。「自民党政治が〜家父長制が〜」と、責任転嫁しようとするでしょうけれど。
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