「結婚したい」を分解すると、「友達以上家族未満なコミュニティがほしい」だった
もうすぐ29歳になろうとしている今、SNSでは結婚報告や出産報告がたくさん流れてきます。一体どこが晩婚化・少子化なんだ?というくらい、私の周りには結婚している人、出産している人が多くいます。
私はもともと結婚に全く憧れたことがなく、ずっと独身だろうな〜と思いながら生きてきました。独身で人生を楽しんでいる女性の先輩も周りにいるので、独身でいることに全く悲観的ではないのですが、漠然と「結婚したいな…」と思う時もあり、私はこのままでいいんだっけ?と考えることが増えました。
しかし私自身、恋愛性愛というものにも全くもって興味がなく、それで人を傷つけたこともあり、マッチングアプリを何度かトライしても苦痛すぎてアンインストールするというのを繰り返してきました。
休職してデンマークのフォルケホイスコーレにきて1ヶ月、有り余る時間で「家族」や「結婚」というものを改めて考えていました。
なぜ漠然と「結婚したい」と思うのだろうか?その要素を分解してみて見えたのは、自分のことを気遣ってくれる、また相手のことも気遣いたいと思える関係性の人と共に生きていきたいから、でした。
それは私にとっては「親友」が当てはまるのですが、きっと世間一般ではそれが「恋人」であり、「夫婦・家族」なのでしょう。
残念ながら世の中は友情<恋愛であり、友人より家族が優先されることが多い。女友達と一緒に人生を生き抜いていくという選択をしたくても、なかなか難しいところがあります。
今のところ私の希望を叶えるには、頑張って人生をともにする男性を見つけて結婚することしかないのですが、なんで結婚じゃなきゃいけないんだろう、なんで夫婦という関係でしか人生のセーフティネットのようなものを築けないんだろう…。
私は4年ほど友人とルームシェアをしていました。そして今はフォルケホイスコーレで寮生活をしていて、共同生活というものに抵抗がありません。誰かが困っていたら助けるし、自分が困っていたら誰かが助けてくれる。むしろ一人で生活する方が不安で、誰かと思いやりながら生活する方が心地よいのです。
私はシェアハウスを経験していないので、どのような距離感なのかはわかりませんが、一般的に想像するシェアハウスよりももう少し親密な関係性、「友達以上家族未満」と表現したらわかりやすいでしょうか。
それぞれが自分自身の人生を歩みながら、個としての人生がありながら、支え合う。誰か一人に限らなくても、お互いを思いやりながら生きていけるコミュニティというか共同体が欲しい、というのが自分の「結婚したい」の正体だと思っています。
「拡張家族」というコンセプトもありますが、私は「家族だから」助ける・なんでも許せるという考えではなく、むしろ「他人だから」気遣える派なので、いわゆる「家族」とは違ったつながりを作ることはできないだろうか?とふわっと考えています。
恋愛至上主義な人からしたらあまりわかってもらえるものではないし、深い関係になりたくない・いいとこ取りしたいだけのように見えるかもしれない。それに性善説で成り立つというか、本当に気が合わない人と共同生活できるか?という部分があるのも難しいところです。
ただ、子供が欲しいと思っていない自分にとっての最適解はこれなんだよなあということを書いてみました。自分にとっても幸せを引き続き模索したいと思います。
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