コーチングセッション最終回②|自分のいいところを認めても何も起きない、と認める。
前回の続き。
でもこれだけ読んでも大丈夫。
前回は「頑張る」について書いた。今回は「自分のいいところ」について。
「いいところを認める」不都合さ
「自分のいいところ」というテーマは、私にとって難しいテーマだった。
セッションまでの一週間ずっと考えていて、自分のいいところって何?とかなんで見つけられないのかとかいろいろ考えて暫定で答えも出したけれど、そもそもそうじゃないらしかった。
「実は、自分のいいところも悪いところも探し方は一緒」なのだとコーチは言った。
コーチは続ける。
「しまこさんは自分の悪いところに気付くことはできる。だから、本当は自分のいいところも探せるはずなのに見つけられない。ということは、探そうとしていない。」
なぜか。
「自分にいいところがあると不都合だと認識しているのかもしれない。」
瞬間、心がすごくざわざわした。今改めて文字に起こしてみて、またざわざわしている。今気づいたけれど、少しの不愉快さも混ざっている。
セッションの時は図星を差された感じと表現したが、今書いていて、ずっと隠していた秘密の悪事を暴かれたような気持ちでもあると思った。
自分自身にすらひた隠していたものを見つけられてしまったのだから、当然なのかもしれないけど。
深いため息をつきながら、なぜそう思うのかを探っていった。
なぜ不都合なのか
私にとって「いいところ」とは、「自分ができること、優れているところ」である。それが見つかったら不都合ということは、「できる人間だと思われたら困る」ということだ。
なぜ困るのか。
責任を負わなければならないし、もし達成できなかったらがっかりされたり悲しい顔をされたりするかもしれない。そうしたらすごく落ち込むし、傷つく。
私はもうこれ以上傷つきたくないし、何もしたくない。
もうすでに傷だらけだからあと1か所でも傷ついたら生きていけない、それは致命傷になりうる、という認識。
いいところのないできない人間であれば、責任を負わなくていいし、がっかりされることも減るし、できないのだから自分も傷つかなくてよくなる。
だから、自分にいいところがあると認めてしまったら困る。
「私はできないんだ」と思えなくなるから、「私はできない人間だから、できなくても許してください」という免罪符が使えなくなってしまうから、私は困るのだ。
できない自分だと思うことでショックをやわらげていた。自分を守るために、その認識は存在していた。
認めても何も起きないかもしれない。周りも、私も変わる。
でも、もしかしたらそうじゃないのかもしれないよね、とコーチは話した。
小さい頃とは、環境も、人間関係も、自分自身も変わっているから。
小さい頃に学んでしまった無力感や傷ついた経験は動かしがたい事実だけれど、今はその頃よりもずっとできることが増えているし、傷つけてくるような人種ももう周りにはいない。
だから、自分のいいところが認めても何も起きないかもしれない。
傷つかないかもしれない。
がっかりされないかもしれない。
そしてこれらの「かもしれない」は、きっと正しい。
最近はnoteを書いたりパンを作ったりしていて、それらをネットで拡散・公開しているのだけど、肯定的なコメントをいただくことがとても多い。というか、共感されたことや褒められたことはあれど、誰かに責められたことは一度もない。驚くべきことだ。
周りの環境が良いのは間違いないし、そういう人が集まってきてくれているということは、私にもいいところがたくさんあるのだ。
まだ少し認めがたいし変な感じがするのだけど、私にはいいところがたくさんあるのだ。そう認めても何も起きないと、信じる。
私が「普通」だと思ってやっているあれこれは、本当はすごいことなのだと、私のいいところなのだと、ちゃんと認めていく。
「そうですよ、パンを焼けるのもすごいことですし」とコーチに言われた。
たしかに、パンは多くの人にとって「買うもの」だし、私も小さい頃は自分で作るなんて考えたこともなかった。
そう思うと私はすごいことをやっている。
錬金術みたいじゃん。面白い。
思えば、日々の料理も、梅を漬けることも、文章を書くことも、歌うことも、私は普通にやっているけれど、他の人からしたら「何か特別なこと」かもしれないんだよね。
そう思うと、私は特別なんだなぁと思う。
そして、私だけじゃなく、みんなが特別なんだよね。きれいごとじゃなくて、ただ事実としてそう思う。
自分ができることを直視することは、太陽を見つめるようなまぶしさと危うさがあると無意識に思っていたけれど、案外悪いことじゃないかもしれない。
コーチと、これから私のいいところを集める作業が始まると話した。
からっぽのおもちゃ箱をいっぱいにしていくような作業。
今までは箱がぼろぼろで、箱の形を保ってすらいなかったから上手に受け入れられなかったけど、しっかりした箱ができたから、これからはちゃんと集めることもできる。
ちょっと怖いけど、うれしい。