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ただ話を聞いてほしいだけの瞬間が、人にはある

noteをあんまり書いていなかった。
久しぶりに書く。

なぜ書いていなかったのかというと、まあ平たく言うと自分そのものが行き詰まっていたから。

それで、今noteを書いていることで察するかもしれないが、悩んでいたことが一段落した。
というか、どうでもよくなった。

私にとっては結構深刻な悩みだったのだけど、結論「それは私自体の価値とは何の関係もない」と思えるようになった。


なんの話をしているんだろう。
書かないと感覚がなまってしまう。

文章を書く脳みそが、なまっている感じがする。
夜だし。疲れているし。そういうことにしておこう。

そうそう。
悩んでいる間、「とにかく誰かに聞いてほしい」と思っていた。

もっともらしいアドバイスや「どうしてそう思うの?」みたいなことも聞いてほしくない、そもそもそんなことさえ考えられないのだ。

渦中にいる間、ギリギリ言語化できてるかできてないかの感情をただ受け止めてほしい、と思っていた。

幸いにも私にはそういう相手がいて、受け止めてもらうことができた。ありがたかった。

彼らがいなければ、私は今もひどい状態だったかもしれない。


そして今、渦中から抜け出すことができて改めて「ただ話を聞いてほしいだけの瞬間が、人にはある」と確信した。

***

思い返せば「ただ話を聞いてほしいだけの瞬間」は時々あった。

中学生くらいの時に心に抱えているものを吐き出したい欲はずっとあったし(その欲は日記に向かっていった)、昔メンタルクリニックに通っていた時にも感じていた。



こちらを全然見ないし最低限の会話しかしないお医者さんに、私は薬が欲しいんじゃない、話を聞いてほしいんだと思っていた。

メンタルクリニックについての知識なんてなかったし、まあ通うところが違ったんだと思う。

私は話を聞いてほしいんだと気づいてからメンタルクリニックに通うのをやめ、自分でよさそうなカウンセラーさんを探して通った。

3回会って話したら心の底からスッキリして、それからは服用もなくそのカウンセラーさんとも会っていない。


***

私を含め、人はみんな、自分の話を聞いてほしいんだと思う。

楽しかったこと、悲しかったこと、つらかったことを話して、受け止めてもらいたいのだ。

「自分語りは嫌われる」とか「自分ばかり話すのはよくない」とか言われるけれど、みんな本当はそれがほしい時があるんだよ。


自分の抱えてるものを全部吐き出して、落ち着いてからじゃないと、何にも受け取れないもの。


だから、私は「話を聞くサービス」をやろうと思う。

なんだよ宣伝かよ、と思われるかもしれないけど、需要がありそうなサービスを思いついてしまったので、仕方ないよね。

今準備しているので、待っててください。



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