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フリーランスのみち その1

はじめに

独立(フリーランス)して38年
はじめも今も基本ひとりです。
その時その時のニーズにあった業務内容・出来事・出会いなど
長くなると思いますが
少しづつ書きつづけていこうと思います
興味のある方はご覧になってください。

38年間の業務内容(概要)

インターネットのないアナログな時代...

紙媒体の印刷原稿(版下制作)〜出来上がった版下を、製版屋さん・印刷屋さん・製本屋さん・ラベル屋さんなどへ直接発注〜お客様へ納品まで〜ファミコン・ゲームボーイ・アーケードゲーム音楽制作(デジタル)〜アナログの版下制作からMac導入してDTPへ〜インターネットの普及と共に、印刷と併用してホームページ(Web)制作〜現在に至る

スタートは紙媒体の印刷業界

1986年(昭和61年)私:27歳 かみさん 生後半年の男の子...独立しました。
高校を卒業してから10年余り
さまざまな職業(経験)を得て独立。
*ここまでの27年間やってきたことが独立後とても役に立ちました。

まずは手に職を

25歳で結婚したのを機に「何か手に職を」と思い
友達や知人にいろいろ相談しました。
イラストやデザインを仕事にしたかったのですが
業界を知っている、当時プロカメラマンだった友人から
「それだと何年かそれなりの学校へ通うわないと難しい」と言われました。
彼から
「印刷業界なら写植というのがあるから、そのオペレーターになるのも一つの手だね」と言われました。
写植? 社食?
若い方同様、わたしも「写植」を知りませんでした。
当時、印刷物を作るには
今で言う、印刷データではなく
紙でできた「版下」というものが必要でした。
版下制作に関する説明は省きますが
その印刷物の文字の部分を担っていたのが「写植」でした。

そう言われて、新聞の求人欄を見ると「写植オペレーター募集」という文字が連なっていました。
それも他の職種に比べて高給でした。
ほとんどが経験者募集でしたが、その中で「見習い可」というのを見つけ早速面接してもらい就職。
営業・写植オペレーター・デザイナー・版下制作者など数名の小さな制作事務所でした。

写植オペレーターで入りましたけど一年ほどで
打ち合わせや、見積もり、デザイナー志望者の面接などをするようになり
制作デレクターとして一通りの仕事を習得し
「これなら独立出来る」と思い
2年ほどして独立を考えるようになりました。

フリーランスのみち その2 につづく

次は
独立(フリーランス)のきっかけや
独立を決めてから起業に至るまでを書いていこうと思います。

ご興味のある方は次回もご覧ください
よろしくお願いします。

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