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認知と実在

タイトル、かっこよくないてすか。
カッコいいですよね。カッコつけたので(ダサい)


さて、私のツイート見た方いますでしょうか。
NMB48の「どうでもいい人仮面」という曲の歌詞を引用していました。
ここでも好きな1番の歌詞を上げたいと思います。

もし君に嫌われてるとわかったら
もう僕は明日からどうすればいいのかわからない 

ホントの自分 見せられなくて
気に入られそうな無難な仮面つけていた

君にとってはいい人 その他大勢だ
僕はどうでもいい人 愛されることはない
それで構わないと思った
君の近くにいられるのなら…
愛はいつでも自己満足なんだ
たとえ僕に気が付かなくたって…

https://www.uta-net.com/song/189823/


さて、この歌詞を踏まえた上で、本題に入りたいと思います。
ここで私のツイート内容もおさらいしておきます。案外、思いつきでポロッと出た文章のほうが良かったりするんですよね。

最近、私は茂木さんのことが何よりも大好きだけど、茂木さんを喜ばせたりできるオタクにはなれないから、どうしたら茂木さんに害のない人になれるだろうかって事をずっと考えてる。
自分なんかって思ってるわけじゃないけど、自己満だけの人になりたい。

https://twitter.com/mogisanoshirisa/status/1552625849362706435?t=AfB_JwKeR4lIc0dQ_i9_Ng&s=19

さて、この辺を踏まえた上で、ポツポツと話したいことをまとめます。支離滅裂かもしれませんし、ただの持論ですのでミニヲタの戯言的な感じに捉えてください。



推しを応援する「私」


推しへの気持ち


みなさんにとって、推しメンってどんな存在ですか?

誰よりも大事な人、何があっても裏切りたくない人、気づかないうちに心が繋ぎ止められている人。
誰よりも一番に幸せでいて欲しい人。

私にとっては、そんなイメージです。重たいですね。重めオタクです。笑

実は最後の一文がネックでして、私が十夢さんを永遠に推しとは言い張らないのはこれが理由です。私、たぶん十夢さんが卒業して、いつか結婚するってなったら、絶対無理…って今は思ってしまいます。
まだ、推しと自分の世界線が交わったら良いのになと夢見てしまうオタクの段階です。
ま、他の方から見たら、十夢さんもガッツリ推しになるだろうなと自分でも思ってますけどね。笑

さて、それはさておき。
茂木さんが私にとっては唯一の推しです。
私の人生をかけても、幸せになってほしい人です。茂木さんのためになることなら、何でもしたいと思っています。


自己満は悪いもの?

こんなに気持ち悪い愛を晒しているヲタクですが、推しとの距離感はかなり悩むところがあります。
応援することは全力でしたい。でも、見返りを求める人にもなりたくない。
何かを返さなきゃ、と思われるような存在になってしまったら嫌だなと思っています。

これが先程引用したツイートの最後の文の意味です。

あくまで自己満だけで応援したい。

聞こえはかなり悪いと思っています。
でも、自己満って、自分で持っているだけなら悪くはないと思うんです。


さっき挙げた歌詞の中では、「愛はいつでも自己満足なんだ」と言っています。
この「愛」が「見返りを求めてしまう愛」「見返りを求めない無償の愛」なのかによって、自分勝手さは大きく分かれると思っています。

この歌詞は、
「見返りを求めてしまう愛は自分の中に留めておいて、相手の前ではあくまでも無償の愛を注ぎ込む良い人に徹する」
という意味だと勝手に解釈しています。
歌詞解釈の始まり始まり。(何言ってるんすかね) 

自己満は、人に見返りを求めて押し付けてしまうと、途端に棘を持ったものに変わります。
ただの愛だったはずが、相手を傷つけたり嫌な気持ちにさせる要因にもなりかねない。おそらく、これが「自己満」から「自己中」に変わる瞬間だと思っています(なんかカッコいい)

自己満が「無償の愛」であり続ける限りは、それは素敵な自己満だと思います。誇っていい自己満だと私は思っています。


私もそんな自己満のスタンスのオタクになりたいな〜、と思ってます。
自分が1番になりたい、喜ばせたい、幸せにしたいとは思いません。
最初言ってた推しメンの定義と違うじゃないか!って?
幸せになってほしいです。茂木さんが幸せなら私も嬉しいけれど、それは「みんな」で応援して初めて得られるものだと思ってます。私ひとりの個人的な気持ちだけでは、絶対に茂木さんを幸せにはできないです。

むしろ個人的な気持ちの押し付けは「自己満の押し付け」になって、嫌な気持ちにさせるだけだと思っています。自己満を押し付けてしまうと、それはただの自己中な厄介オタクです。

私個人が働きかけることができるのは、
茂木さんを悲しませない、嫌な気持ちにさせない
それだけかな〜って思う今日この頃です。
もちろん、お手紙でたくさん良いところを書いたり、お話し会でたくさん褒めちぎることも、茂木さんを素敵な気持ちにできる手段ではあります。
でもその先将来、を見据えたときに私ひとりの力で出来ることは、やっぱりマイナス面、足枷となる原因をなくすこと、その原因に自分がならないようにすることかなぁと、超個人的には思います。


なんだか難しいですね。
私もわからなくなってきました。
このジレンマこそが、オタクの魅力的なところなのかもしれませんね☆ (いいようにまとめてしまった気が)


じゃあ認知は?


個人的な欲

認知、という言葉はオタクをしていると嫌でも耳にしますね。
これに関しては昔かなり青い時期もありました。懐かしい懐かしい。
今は多分、お話しに行くと覚えられてはいるのかな、と勝手に思っています。SNSとの一致はまだしてないと思ってます。十夢さんのことばっかり言ってるので、逆にされてたら困ります(おい)

個人的な欲として、認知はやっぱり欲しいです。覚えられている、名前を呼んでもらえている、それだけで自分の重ねたものが全て認められた気がしてしまいます。
認知って「認める」「知っている」ですから(知らんけど)


覚えてください!って言ったことはないです。そういうこと、言えないタイプです。実はお手紙に自分の報告とか、お話し会で自分の話するとか、本当にできないタイプです。これは単に性格の問題です。笑
なので茂木さんは私のこと、何も知らないと思います。笑
茂木さんがいつの間にか覚えてくれるのを、ひたすらコツコツと待ってました(なんかストーカーみたい)

矛盾していると言われてしまうかもしれませんが、認知は自己満の域に収まっていると思っています。
覚えて!名前呼んで!を例えばSHOWROOMで何度もコメントするとか、それはたぶん自己中に入りますが。
覚えていただけることは、応援しているという実感として唯一無償で手に入れられるものであってほしいと思うし、これは私の中の「見返りを求めてしまう自己中な願い」にも近いものかもしれません。


認知と実在

難しいことを書きまくって私も混乱中ですが、タイトルの回収(とは)を行いたいと思います。

じつは、私はさっきのツイートで、文字数の関係で消した文があります。
最後にその文について触れて終わろうと思います。

自分がいつか消えるとしても、茂木さんに気づかれないようなオタクになりたい。

この人何言ってるんですかね。
最近の私はオシャレな言い回しが好きなようです。実際オシャレなのかどうかは置いておいて。

どういうこと?ってなりますよね。
認知される存在」と、「推しの記憶に残る存在」を違うものだと私は考えています。

簡単に言うなら、
「あ、そういえば、よくいるね!」
な存在になりたいです。
「あの人また来てくれるかな?」な存在は目指さないし、そんな次元には立てないと思います。私にそれほどの価値とかないですし。そんなに熱心で真剣なオタクじゃないですし。
たぶん記憶に残ろうとするなら、もっと自分のことを話したりとかするほうがいいだろうなと思います。日常でふとしたきっかけで思い出すこともありそうなので。でも私の性格的に自分のことを人に話すのはかなり苦手なので、一生無いだろうなと思っています。

茂木さんの通過点の一つでありたいです。
会いに行かない限り、存在していたことを忘れられてしまうようなヲタクでありたいです。これもただの自己満です。

認知されていても、実在はしていない

曖昧ですが、これが私の目指すオタク像です。自己中にならないよう、自己満を垂れ流していこうと思います。



長々と読んでいただいた方、苦痛だったと思います。茂木さんを見て癒やされてくださいな。

今日のSHOWROOMで、珍しい前髪の分け方を一瞬だけした茂木さんを、おすそ分けです。


それではまたいつか。


ところでこれ3500文字って書いてるんですけど、レポート1本余裕で書けますね、オタクってほんと怖い()



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