Me and Moot Court
皆さん、はじめまして! オンライン高校生模擬裁判選手権 実行委員会のCAと申します。
実行委員会メンバーによるessayリレーの第3回にあたる今回は、私自身の模擬裁判の経験やそこから考えたことなどについて、あれこれと書いていきたいと思います。
0. 自己紹介
本題に入る前に、私のバックグラウンドについて少しお話しします。
私は現在、大学で法律を学んでいます。実は前回の記事を書いた上田さんは同じ学部・学科の同級生で、一緒に講義を受けたり遊びに出かけたり(今はこんな状況なのでできませんが...)、ものすごい偶然で同じ国の同じ大学を留学先に選んだりするような仲です。専門の勉強をする傍らで1年次から教職課程(=教員免許の取得や、将来教員として働くことを目指す人のためのカリキュラム)を履修しており、高校地歴・公民の教員免許取得まであと少しというところまで来ています。
1. 模擬裁判との出会い
1) ゼミでの取り組み
私が初めて模擬裁判と出会ったのは、ゼミでの取り組みを通してでした。通常はディベートやディスカッション、あるいはグループでの報告といった形式を取ることが多いゼミ発表ですが、私が所属するゼミでは実際の判例を題材にして自分の主張(原告・被告のどちらか)を組み立て、それを模擬裁判の形式で先生の前で発表します。ただ調べて終わり・勉強して終わりではなく、その内容を弁論に集約してアウトプットすることでより詳しい知識が身に付くのではないかと思っています。
2) 国際法模擬裁判
ゼミが始まってから数ヶ月ほど経った頃、先生からのお誘いを受けて国際法模擬裁判の大会に出場することになりました。プレイヤーとして模擬裁判に本格的に取り組み始めたのは、この時点からになります。
(写真:実際に使用した弁論原稿。書き込みが汚いのは見逃してください)
大会では参加1年目ながら口頭弁論を担当することになったのですが、それまで全く扱ったことがなかった分野に関する模擬裁判ということ、またall englishの大会ということもあり、準備はなかなかハードでした。突飛な設定の問題文に対してどのようにアプローチすべきか、と頭を悩ませる日々でしたが、事実の断片がいくつも組み合わさって弁論の道筋が見えてくる瞬間には、それまでの苦労が報われるような大きな達成感がありました。何よりも、いわゆる「机の上での勉強」にとどまらず、法律が実際にどのように運用されているのかを身をもって体感することができたことは、私にとって非常に貴重な経験でした。
以上の通り、私は主にゼミと国際法模擬裁判での取り組みを通して模擬裁判に触れてきました。しかしこの二者は同じ模擬裁判でも、その性質がかなり違うのではないかと感じています。前者には判決という形で既に答えが存在している問題について、その判断枠組みや主要論点について実践的な手法を用いて学ぶという目的がありましたが(多分)、後者については既存の判例や学説の当てはめだけでは対処できないような問題に対して手探りで自分たちなりの答えを見つけるという側面が強かったように思います。一口に「模擬裁判」言っても、そこで何をするか、何にfocusするか、どのような目的を設定して取り組むかによって得られるものは全く異なると感じました。
2. 「国語的」模擬裁判?
1) どうして実行委員会に?
私がこの大会を知ったのは、たまたまTwitterで見かけたこのツイートがきっかけでした。それも後からよく見てみると、上田さんがリツイートしていたものだと分かり...(笑) なので、こうして同じ大会の運営に関わるに至ったのも、先述のような「ものすごい偶然」の結果だといえるのでしょうか...
ツイートのリンク先から詳細を見て「社会科の授業で模擬裁判をするというのはまだ想像がつきやすいけれど、それを「国語的」な見地から行うとは一体どういうことなのだろうか...?」と興味を持ち、札埜先生にお願いして授業を見学させていただきました。この時のご縁がきっかけで、昨年から実行委員会メンバーとして大会運営に携わっています。最初は「何だか面白そう」という単純な動機から運営に入りましたが、今はこの大会が多くの高校生にとって、教科書には載っていないリアルな社会や人々の実態について考える機会になればという想いを持って、運営の業務にあたっています。
2) 「国語的」模擬裁判について思うこと
さて、本大会は「「国語的」模擬裁判」と銘打って開催されていますが、実は私はこの「国語的」が何を意味するのか、初めのうちはよく分かりませんでした(札埜先生すみません)。しかし、見学や運営などを通して大会に関わるようになってから、自分なりに分かってきたことがあります。
私が今まで行ってきた模擬裁判は、いずれも法学部での教育の一貫として行われているものです。つまり、ある事柄について「法的に考える力」あるいは「法的に問題を解決する力」を身につけることを目的とするものと言い換えることができます。
一方で本大会が開催の趣旨として掲げる「国語的」模擬裁判は、法律の知識や裁判制度の運用などといったテクニカルなものを超越して、その先にある社会の様子や人々の生き様、また彼らが抱える様々な問題について深く考えようとするものだと思います。現代社会は残念ながら多くの複雑な問題に満ち溢れていますし、その社会を生きる私たちも同様に様々なものを抱えています。したがって、このような社会や人々の実情を、問題文ないしはそこに登場する人々を通して深く考察しようということが、「国語的」の意味するところなのではないかと考えるようになりました。実際に私がとある高校の授業で問題文検討の様子を見学させていただいた時も、「問題文をこんなに深読みするのか」「被告人の人物像や場面設定をここまで考えるのか」と心底驚いたことをよく覚えています。それまでどっぷり法律の世界に浸かった模擬裁判をやってきた私にとって、国語的模擬裁判は非常に新鮮なものでした。
社会問題の多くはどこか他人事のように捉えられてしまいがちであると思いますが、それらを少しでも自分事のように考える機会を持つことができる点、また人や社会を深く見る目を養うことができるという点において、この国語的模擬裁判がもつ教育的意義は非常に大きいと感じています。また、様々な分野の専門家による講義を受け、その知見を活用しながら自分たちの主張の内容を検討するという点において、この模擬裁判は教科横断的な学習活動としての可能性(=1つの教科の範囲だけにとどまらないこと)を有するのではないかとも考えています。
(*上記はあくまでも私見です。国語的模擬裁判および本大会の趣旨についてより正確に詳しく知りたい方は、札埜先生の記事も併せてご覧ください。)
3. おわりに
模擬裁判を通して得られるものは様々ですが、チームで協力して決まった答えのない問いと格闘する経験や、今まで学んできた様々な分野の知識を活用して課題に取り組む経験というのは、その後の人生において非常に大きな糧となるものでしょう。
そして何よりも、模擬裁判は非常にエキサイティングな経験だと思います。前回記事で「この選手権は「楽しい」のです」と言及されていたように、私にとって模擬裁判は知的好奇心と挑戦心を大いに掻き立てられる「楽しい」ものです。これは何も人前で弁論などを担当する場合に限ったことではありません。例えば、準備過程でのリサーチや仲間との議論を通して新たな価値観に触れることや、それを通して身の回りの世界の見え方が大きく変化する瞬間には、何にも代え難いワクワク感があると私は感じています。
本大会が1人でも多くの高校生にとって、身の回りの社会や人々に対してより広く深い眼差しを持つきっかけとなれば幸いです。みなさんのご参加をお待ちしております。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!