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涙星 #シロクマ文芸部

 星が降る瞳だ。——それは誇張でも勝手な解釈でもなく、確かにそう見えたのだ。
 神秘的で魅惑的でありながら、どこか純粋さやあどけなさを宿している。

 彼女の瞳は、星が降る瞳。

 喜びで輝くときはもちろん、たくさんの水分を含んだときも。
 あ、星だ。
 つい、そう思ってしまうのだった。


***


 少し照明を落とした薄暗い部屋。彼女が選んだ映画が流れるテレビの明るさが、僕と彼女を照らしている。
 僕はチラリと横目で彼女をうかがっても、気づかれない。
 彼女が目元に押さえつけた薄いティッシュに、じわりと水分が沁みていく。
 もったいない。うらやましい。
 胸中にひっそりと去来する気持ちを僕はもう、何度味わっただろう。

 彼女は、泣かない。
 正確に言えば『涙を流さない』だろうか。
 彼女と付き合って二年になる。決して短くはないその期間で、僕は彼女が涙を流すのを見たことがない。
 感情が大きく動いて泣きそう、になることはあっても、いつも溢れ出す前にティッシュやタオルにそれは吸い込まれてしまう。

 涙が音もなく彼女の頬から顎先まで伝って、ポロ、と落ちる瞬間が見たい。
 彼女を悲しませたいとか傷つけたいとか、そういった加虐的な嗜好では決してない。
 ただ、きっと、とても美しいだろうと、思うのだ。


「あのさ、」
 僕のつぶやきに、隣に座る彼女が僕を見た。僕も彼女を見る。
 目元からティッシュは離さないままで、じいっと目を合わせる。
 彼女の瞳はキラキラして見える。
 あ、星だ。僕はやっぱりそんな感想を抱く。
「泣いていいよ?」
 思わず、だった、と思う。
「あ、いや、その、無理に泣かなくていいっていうか、泣きたくないならいいっていうか……、あー、何言ってんのと思ってるだろうけど」
 彼女は驚いたような、疑問を浮かべたような、そんな顔をしている。
「いや、いつも我慢、してるのかな、と思って。あ、泣いたら化粧が崩れるとか、そういう理由、かもしれないし。——なにか、その、理由、トラウマ、とかあって、泣けない、とかだったら、しょうがないっていうか、なんだけど……、」
 言い訳のようにことばは出てくるのになんとも歯切れが悪い。
 あちこちに視線を飛ばしながら自分でも何をどう言っていいのかわからずに、結局はまた彼女に視線を戻した。
 画面の中で物語は進んでいるけれど、僕は画面を見るどころか、その音さえ聞こえなくなった気がした。

 彼女の瞳は溢れんばかりの水分をたたえている。
 星が降る瞳。
 パチパチと瞬いてもすぐにティッシュがそれを吸収していく。
 もったいない。うらやましい。
 泣くことを強制したいわけじゃない。悲しませたいわけじゃない。傷つけたいわけじゃない。
 ただ、涙が流れるそのさまを、見てみたい。
 これを下心というのか、どんな種類の欲求なのか、僕自身にもわからない。

「ありがと。えーっと、……ごめんね、」
 僕のことばをどう捉えたのだろうか。
 今さっきまで見ていた映画のワンシーンのように、彼女がゆっくりと瞬きをした。

 溢れた雫が彼女の頬を伝っていく様子を、知らず目で追う。
 水分が流れるスピードさえ、ゆっくりと感じた。

 ついに顎先から離れ、ポタリ、落ちた。

 その数瞬のあと、小さく、ほんの小さく、ポツ、という音。
 無音の世界にいた僕の鼓膜を、やけに大きく揺らす。
 彼女が瞬きをするたびに、ポツ、ポツ、と聞こえるのは、小石よりも小さい、砂利が跳ねたような、そんな音。

 僕は、不意に下を見た。
 彼女と僕が座る隙間に、うっすらとした光が点在している。

 そのひとつを指先でつまみ上げた。


 彼女の瞳から、星が降った。




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2025.1.26 もげら

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