綺麗ごとで生きて何が悪い
2020年あっという間だったのか、色濃すぎて思い出せないのか。
正直いうと打撃はあったし何もなかったわけじゃないけれど、何も動じなかったといってもいいくらい、世の中大変になったんだなぁ、時代は変わるなぁくらいにしか思わなかったというのが事実。
私は私で生きていく以外にない。それはどんな時代も何があっても変わる事のない事実なわけで、そういう意味では「ようやく外の世界じゃなくて自分自身に目を向けるきっかけが出来る時がきたんだ」と思った。目をそらす事の出来ない、一生付きまとうのは自分自身だもんなぁ。
せっかくなので2021年を迎える前に、たくさんの変化を振り返ろうと思う。
緊急事態宣言直前の退職と自分を信じる事
2020年頭から云々と悩んで2月に決断、3月20日に退職をした。イベントや喋る仕事が決まってきていた矢先、4月に緊急事態宣言になってびっくりしたな。笑 でもフリーになったとか問わずに、萌ちゃんどうしてる?と電話をくれたりする人達のおかげで、引き籠りながらも少しずつ仕事を受注。
"好きな人とやりたい仕事を場所関係なくやること"に憧れてきた。そんな憧れをこのタイミングで手に入れられたのかもと思った。きっとこれまでもいくらでもやろうと思ったら出来たんだと思うんだけど、自分を信じ切れなかった私の気持ちの問題なんだろうと思う。何かと言い訳をしてきた私に、この状況はいい意味で言い訳なんて許してくれなかった。
「ここまでやってくれる子いない」「本当に貴重だからまたぜひお願いさせて」「いてくれてよかった」と伝えてくれる人がいて、人の役に立てる幸せを心底感じた。
11月に小中学校時代に憧れだったモー娘。の高橋愛さんとのトークイベントのMCのお仕事を頂いた。終了後、写真を撮ってくださってインスタにその写真をあげて"萌さんがパーソナリティを引き出してくださった" とコメントをくれた事にとってもとっても感動した。
話すだけなんて台本さえあれば誰でもできるって言われる事もたくさんあったし、実際業界的にイベントで一番コストを抑えられるのもここだと思う。話す事で人の魅力を引き出し、多くの人に気づきや元気を配れたらいいなと思っているし、何より目の前の人と話す時間は素晴らしい人生の瞬間の立ち合いでもある。クライアント・ゲスト・企画制作・お客さんなど関わる多くの人の思いを汲んで柔軟に臨機応変に空気を作る仕事でもある。
スクールに通ったわけでも事務所に所属するわけでもない、でも自分は多くの人の前で話す事が好きだから続けてきたし、やれると言い続けて場数を踏んできた。台本を添削したりリサーチする作業は本当に好きで、ナレーションも気が済むまでやって朝方になることだってある。それでも話す仕事ならどんとこい!とどこか言い切れずにいる自分がいたわけだけど、この仕事でぶわっと吹っ切れた、そうだよ私は私を信じてやってきた、やってきてよかった、好きだしやりたい、そしてやれる。思わぬタイミングで長い間抱えてきた葛藤やモヤのような気持ちは流されるものなのだなぁと思った。自分が信じてさえいれば、1つ1つ仕事を丁寧にしていくことで見える道は必ずある。またオーディションとかもいくつか見てみたくなった。笑
7年ぶりの出会いと誰かと生活を共にするという出来事
仕事はもちろんまさか過ぎたのは出会い・・・。正直これまで仕事が楽しすぎた事、自分自身に素直になるのが苦手な事もあって恋愛を避けていた部分が大きかった。そんな中2月に新宿のホームで偶然にも卒業以来7年ぶりに再会した大学時代の人と3月にお付き合いを始めて、コロナの中いろいろと支えてもらって6月に一緒に住もうと言ってくれて人生初の同棲を始めた。
誰かと住むなんて思わなかったなぁ。
全然かっこつけもせず、辛い事はつらいっていって、女々しいなと思っていたような事も我慢せずに口走れる人。(それがいいかは置いておいてw)同棲を機にすごく料理をするようになって、今や料理が好きになって色んなレシピを見て挑戦しているという不思議・・・料理をするようになって、誰かが誰かに美味しく食べてほしいと思って作る手作りの意味だったり、味わい深さを感じて両親への感謝が増しもした。
SDGs関係で食品ロス解消アプリのお手伝いや自然栽培について学ぶ機会もあって、自分たちの体を作るものへの関心だったり、ひいてはサスティナブルであること、地球とのつながりについても考える事が増えて、心の充足度がとてもあがってきていると感じる。
親子、パートナー、仲間など、どんな関係でもいいのだけど、やっぱり「愛情」は大きい。何かを大切にしたいとか好きだなと思える事は人であれ物であれ、すごく心を豊かにしてくれるんだなと。仕事もそうで、勿論きちんと見合う対価を頂くことも大切だけど、あなたに私は何を渡せるのか?に向き合って愛を持って手渡していく、そこに費用が発生はするものの、無償の愛のような気持ちがあると心地よく繋がれる気もしてる...このへんは言語化まだしきれない。笑
親以外の大人として関わる、We are buddies への参加
8月からはWe are buddiesというオランダ発祥のこどもと大人のバディプログラムに参加。友人が主宰をしていた事もあったけど、親以外の斜めの関係性って必要なのではと思っていたので参加。
私は小学校3年生の子とバディで、オンラインで週に1回程度話してオフラインで会える時には一緒に遊んだり。子供の頃の自分と向き合っているような気持ちになったりもするので、私の新たな発見や気づきも多い。子どもは大人が思っているより世の中を見ているし、両親の温度を感じている。上司と部下もそうだけど、繋がりすぎていない第三者がいたほうがうまく進む事も多くある。親だから子だからお互いのすべてを知って全てを受け入れるべきか?というとそうじゃないよなとも思っている。
3年くらい前にライブ配信で知り合った大学生や高校生とも、いまだにオンラインゲームをしたり大学合格の連絡をもらってご飯に行ったり出来ているのは本当にうれしい事だし、すべての関係性が深くなければいけないわけでもなく、細くても長い関係性を大切にしたい。
これは萌さんに相談しようとか話してみようかな、とふと思い出して貰える信頼ある大人の1人でありたい、と子供や若い世代と繋がっていく中で思うようになった今年。
自分の幸せは自分で作るしかない
久しぶりに母と会ってランチをした帰りに母が一言。
アリとキリギリスじゃないけど、お母さんはアリみたいにせっせと地道に労働で稼ぐしかないのに比べて、萌ちゃんは好きな事に向かって頭使って時間労働じゃない形でちゃんとお金にしててキリギリスみたいですごい
と。アリとキリギリスの童話でいくとキリギリスはちゃんと食糧を貯えずに遊んでてアリに食糧分けてもらえずに餓死するのでちょっとニュアンスは違うけど。笑 ずっと母には心配をさせていて、ふらふらしていて大丈夫なのかと言わせ続けていたからこそ、なんだかすごく嬉しかった。やっぱり母に褒められるっていくつになっても私は嬉しいんだと思うw
というのとは別で、どっちがすごいなんてないなとも改めて思った言葉。母はこれまで色んな仕事をしていて、本当に私なんか及ばないくらい頭の回転が速くて、きっと私以上にビジネスやっていけるのにやれないと思ってるだけのタイプ。笑 ただ今は時間労働のスタイルで稼いだお金で自分の人生を謳歌しているし、好きなものは味わい尽くしたいという母の生き様を私は1番尊敬している。
牧野さんのnoteであったアリとセミの話で出てくるもう1つの結末?の話。(アリとキリギリスは元々アリとセミのお話だったとのこと。)
アリは笑って言いました。『夏の間歌ったなら、冬の間踊りなさい』すると、セミはこう答えました。『歌うべき歌は、歌いつくした。私の亡骸を食べて、生きのびればいい。』
牧野さんのnoteにも記載があるけど、アリは「ただ生きるために働きつづける」アリとなり、セミは「自分のやりたいことをやりつくし悔いなく死んでいく」セミになるわけです。でもどっちの生き方が正解なんて本当になくて。
昔見て全然面白くなかった映画だったはずなのに、色んな事を経験して数十年後に同じ映画を見たらとめどなく涙が流れてしまう事もあるように、どんな状況で見るかで拾う要素も違うし、文末が違うとか声のトーンが違うだけで怒りが悲しみに聞こえる事もあるのと同じ。
自分の人生はいかようにでも、いつからでも変えられるし、昔あった辛かった事だって笑い飛ばせる日が必ずくる。
そう思うとマジで2020年激しすぎたわ!(笑)て笑い飛ばせるビッグなネタだったと言える日も来る。自分ができる自分の精一杯を更新し続けていきたいなぁと思った今年。これからも"自分なんて"と思わずに一生付き合う自分を大切に信じてあげたいなと思う。
そしてタイトルに入れたけど、愛と信頼とかクサいフレーズながら、綺麗ごとだと言われるようなパーツで十分に人生は彩っていけると確信できた2020年でもあったな。はー!久しぶりにnoteを書いたけどやっぱ難しいな~笑
大好きなエンタメを進化させ続けてくれている、ひろやん主宰の劇団ノーミーツ企画のおかげで重い腰をあげてnoteを更新できました。素敵な機会をありがとうございます!よい年にする(まだ30日だから)し、皆さんよいお年を!!!!!
もえ
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