リハーサルで起こった事。これから起こる事。
昨日の椿姫のリハーサル。ツイートが沢山シェアされて、皆さんの目に届いたとしたら、あの時間を皆さんと共有する事ができて嬉しく思います。偶然が重なり、涙溢れそうになる瞬間が沢山ありました。
そんな中、日本国内の演奏会でチャイコフスキー作曲の「1812年」を変更するというニュースが。
まず平和を心から想う音楽家は作曲家や演奏家の国籍で差別する事はしないでしょう。差別がある時点で平和には程遠い矛盾です。
そして1812年が作曲された時代背景や、表題を鑑みても、これまで散々演奏してきたのに、今は演奏するのは相応しくないという考えは、僕個人的には全く心に響きませんでした。
団体の意向なのか、指揮者の意向なのかわかりませんが、もし指揮者の意向だとしたら、年齢問わずとても残念に思いました。一般人としてだったら気持ちはわかります。でも音楽家としてはとても残念です。
アメリカの曲もロシアの曲もフランスの曲もドイツの曲もイタリアオペラも、どんな時代背景がある曲でも楽譜が残り、誰でも演奏できる事、演奏し続ける事ができる国である事に意味がある。
過去の過ちや、人間の愚かさも音楽で共有する。その音楽こそが、平和的に利用できる唯一の手段だと。
今演奏して、こういう歴史を繰り返すなという提起もできるのが、音楽の力でもあるはず。
昔の作品、特定の国籍などを排除して平和を訴えるやり方は全く音楽的じゃない。音楽やる意味ない。
排除じゃなく融合する方向で平和を訴えたい。
沢山の音楽家が集まり奏でるオーケストラの意味もそこにある気がします。
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