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伝統を紡ぐ心の拠り所 龍雲院 1/2
戦乱を越えて龍雲院の創設と歴史
龍雲院は曹洞宗の寺院であり、元和二年(1616年)に清水大蔵公家臣矢口能登の菩提寺として本寺興源院六世澄嶺舜皎大和尚により開山されました。矢口能登は戦国時代に活躍した武将で、清水大蔵公の家老格である升形楯主でした。戦乱の時代に活躍した矢口能登は、龍雲院の創設後まもなく亡くなり、彼とその妻の位牌は現在も寺に安置されています。
龍雲院は、地域の教育にも貢献してきました。1875年には龍雲院に升形小学校が開設され、1891年までの間、寺院が学校として使用されました。このように、龍雲院は地域社会における教育においても中心的な役割を果たしてきました。また、龍雲院の本堂には釈迦如来を本尊として安置し、その両側には普賢菩薩と文殊菩薩が祀られています。本堂には、安永年間(1772~1781年)に制作された大きな涅槃図があり、これは釈迦如来の一生を描いたもので、地域の文化財として高く評価されています。さらに位牌堂には地蔵菩薩が祀られ、地獄絵なども掲げられており、訪れる人々に教訓と慰めを提供しています。
龍雲院の境内は広大で、矢口徳左衛門家から寄進された土地が多く含まれています。境内には、多くの石碑や像が点在し、六地蔵、子育て地蔵、一葉観音像、洗心観音像、三界萬霊碑などがあり、訪れる人々の信仰の対象となっています。さらに、寺に着任する和尚は、伝統的に八鍬五兵衛家で最初にわらじを脱ぐという習わしがあるそうです。これは龍雲院と地域との深い結びつきを象徴しています。
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勝海舟の書「幽意閑情」
幕末から明治時代初期にかけて活躍した幕臣である勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟で知られる「幕末の三舟」。
中でも有名な勝海舟の書。墨蹟は住職が学生時代、青山の骨董街に住んでいた頃から集めているもの。
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總持二世楳仙禅師書「諸悪莫作 衆善奉行」
總持二世楳仙禅師の墨蹟。
「諸々の悪をなすことなかれ、諸々の善を実行しなさい」という意味の言葉が書かれている。この他にも龍雲院内の至るところに住職が大好きな墨蹟が飾られております。
縄文時代の石器集め
最上郡内の主な遺跡を歩いてコツコツ集めた「縄文時代の石器」の数々。獲物を捕らえるために槍の先に毒を塗り使用されていたもの。右写真は大蔵村で発掘された「土偶」。ともに矢萩住職のコレクションのごく一部。
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曹洞宗 菩提山 龍雲院(ぼだいさんりゅううんいん)
場所/ 山形県新庄市升形933-1
電話/ 0233-29-2567