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50歳から始める終活 vol.11_3度目のお見送りはゆるやかに③
50歳から始める終活 ~もくじ~
vol.01_激動の時代に生き抜くために
vol.02_見送りびととして
vol.03_初めてのお見送りは突然に…
vol.04_悟リスト:その1 -行雲流水
vol.05_ハガキで分かるライフステージ
vol.06 喪失の経験が増えてくる
vol.07 お見送りは突然に-Part2
vol.08 悟リスト:その2-生き方が死に方
vol.09 3度目のお見送りはゆるやかに①
vol.10 3度目のお見送りはゆるやかに②
最期のお別れは…残された者のけじめ
医師による死亡宣告に立ち会った私は、メソメソと悲しんでいる場合ではなくどんどん次の段取りをしなければならなかった。
母は高齢で弱り切っていて「私はなにもできない」「わからない」しか言わない。
親のサポートや見送り…順番なのだから仕方がないが、私が一手に引き受けることになったのは本音をいえば大変だ。きょうだいで分担したり協力しあったりしている友人の話を聞くと、正直「いいなぁ…」と思う。が、こういうのを運命というのだろう。仕方ない。
そして、私には子どもが一人いる。
このまま順調に歳を取れば、娘に私と同じことをさせなければならないと思うとこれまた心苦しい。だからこそ、50代のうちから自分のおしまいの準備を自分で出来る範囲のことはしておきたいと強く思った。
元気なうちに自分で準備できることはたくさんある。
人生のしまいは誰もが避けたいことだから何となく「もうすこし後で」と考えがちだ。でも、高齢になってからでは遅い。体力、気力、そして脳力ともにもうこなせる余力がないから。
いやだからと避けていても人は必ず死ぬわけで、その時を見据えることは悪くない。
迷惑をかけたくない…のではなく、キレイサッパリ潔く逝きたいのだ。
葬儀は事前準備で
父が世話になった施設の医師からターミナルケアの宣告を受けてから亡くなるまでの約2か月の間に、私は葬儀社の選定と喪服の購入、挨拶状の準備をした。
縁起でもない…というのは建前で、実際にXデーが来たら悠長なことはしていられない。事前に分かっているのだから、できることはできるときにしてしまったほうがいい…これは経験からそう言える。
葬儀社はいくつか検討をしたが、最終的には評価がよさそうなところに決めた。地元に昔からある葬儀社もあるが、私は上場企業の中から決めた。というのもいろいろな面で明朗だろうしサービスは一律かもしれないが徹底はされていると思ったから。
事前に入会を済ませて事情を説明し、「もしも」の時に連絡すれば素早く手配ができる。事前に入手した資料から葬儀の規模もある程度検討できた。
死亡宣告の後、すぐに葬儀社に電話をかけると、父を迎える時間を折り返し連絡してくれるとのこと。タイミングが良かったのか、お迎えが来たのは父が施設内で簡単なエンゼルケアをしてもらった直後だった。
父の葬儀を行う施設まで父と共に向かった。
私が選んだ会場は駅から近くにあり、1会場のみなので、貸し切りのようで有難かった。
葬儀のプランはいろいろで、直葬というごくごくシンプルなものもある。父は高齢なので親戚ももちろん高齢、しかも遠方に住んでいる人がほとんどだ。コロナ禍は落ち着いたが、わざわざ足を運んでもらうのは忍びない。母の家族だけで送りたいという希望もあったので、親戚には事前に「もうそろそろ…」の連絡を済ませ「もしも」の時が来たらすべて終えてから連絡をするという話をしておいた。
参加者は家族だけだが、父らしく楽しく送りたい…。私は通夜と葬儀があり、葬儀に関わる一連の儀式はすべて入ったプランをお願いした。
結果、とても良い見送りができた。
装花はけっこう多めで黄色を基調にしてもらったので、しんみりというより華やかな感じになった。施設が新しくて綺麗だったのもあって、何かのパーティー?と思うくらい明るい雰囲気になった。
事前に遺影もいくつか選んでいたが、姪っ子が「これはどう?」と見せてくれた写真がとてもいい表情をしていたので、それを選んだ。
父の実家の宗派は浄土真宗だが、父は長男ではないしどこかの寺院に所属していたわけでもない。葬儀社から依頼されたお坊さんに通夜と葬儀、戒名をお願いしたが、とてもよい方で通夜の法話では参加した家族全員が感動した。
多死社会と言われているいま、火葬場が混んでいて「待ち」の状態になることが多く、亡くなってから何日も経たなければ葬儀が出来ないケースがあることをよく耳にする。
ところが父はなぜか?絶妙なタイミングだったのか、日曜日に亡くなり、翌日に通夜、その次の日に葬儀とすべてがスムーズだった。
明るい葬儀の中、最期に棺の中に花を手向けるタイミング。司会の方のあまりに上手なスピーチに家族は一気に悲しみに暮れたが、そこで心からの「ありがとう」を伝えることができ、別れの覚悟ができたように思う。
自分の誕生日に逝った父。生前最後に食べたかったうなぎ…。
葬儀社の方が、ロウソクを立てたケーキと、うな丼を用意してくれたので、それを最後に棺に入れた。
いい別れができると…心は晴れ晴れ?
いい葬儀だった。
父が88歳という高齢だったし、すでに覚悟もできていたからかもしれないが、気持ちの良い見送りができたので私は不思議と悲しみより晴れ晴れとした気分になった。
子どもとしての役目を果たした…晴れ晴れ?
父らしい明るい最期で終えることができた…晴れ晴れ?
生前から精一杯サポートしてそれが終わった…晴れ晴れ?
この晴れ晴れとした気分が何によるものだか分からないが、わたしはものすごくスッキリして、父がより身近にいることを感じるようになった。
この時、葬儀というものは亡くなった人のためではなく、見送る人のためのものだということが分かった。
同時に、自分ならどんな葬儀をしてもらいたいかな?と考えるようにもなった。
余談
つい先日、父が夢に出てきた。
不思議と父も私も、父が死んだことは判っている。
父は「ずーっと寝ていて、ホゲッてなった感じだから、はじめは死んだってわからなかったよ。ハッハッハッ…」と、いつもと変わらない様子を見せていた。
私は「え~!死んだの分からなかったの?じゃあ、楽に逝けたんだね。よかったね」
と笑った。
自然に、ごく自然にと、少しの延命(点滴や栄養補給)などをせず、本人の生きる力のままに任せた最後で、私の選択が本当に良かったのか不安だったが、夢の中に出てきた父の笑顔をみたら、またまたスッキリした。
あ、元気よく(というのはなんだが)あちらに逝けたのね…と。
しまいが良いと本人も残された人間もどこかスッキリする…
そんなことを思った父の最期だった。
身近な人のラストに立ち会った私は、より自分のこれからのことを考えるようになった。50歳半ばを過ぎ、いままでの時間を考えると、これからの時間はもうそう長くない。どう生きようかな…と。
▼▼▼最上川えつこのエッセイ第2弾『アラフィフ歌会始』▼▼▼
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