
50歳から始める終活 vol.04_悟リスト:その1 -行雲流水
50歳から始める終活 ~もくじ~
vol.01_激動の時代に生き抜くために
vol.02_見送りびととして
vol.03_初めてのお見送りは突然に…
昨日と同じ今日…無難無事であってほしい…けれど
人間は、わずかな変化よりもこのまま同じ場所で居続けたい気持ちのほうが強いし得意なんだろうな…ということを実感した義父のお見送り。
老い衰えは見せていたものの日常生活は普通に送ることができていた義父。生前最後に会ったのは約1カ月前くらいだろうか、巣鴨にある泰平飯店に義父母と私たち家族で食事した日になる。
あの日、店へ向かう道中、家族と歩調が合わずに遅れに遅れて姿を見失い、みんなで慌てて探し回るというハプニングを起こしたが、発見時の義父はなーんにもなかったように悠々と歩いていて笑った。
楽しくおしゃべりして、ご飯を食べて
「またね~!」
その後、義母から電話で「パパ(義父)が歯が痛いっていうものだから、歯医者さんに行ったんだけどどこも悪くなくてねぇ…」と話していた。(今、振り返ると「歯痛」は心疾患の予兆だった気がする…あとのまつりだが…)
少しずつ変化をしていくことは解っていたものの、自分はもちろん、周りの人たちもみーんな昨日と変わらぬ同じような1日を過ごすものだと思っていた。
でも、時は確実に流れて、私たちみんな変化しているのだ。
さーて、時は待ってくれない!
前回に書いた通り、急遽、義父の見送りセレモニーを決めなくてはならなくなった私は、まずはお葬儀屋さんの手配をすることに。
終活の本を読んでいた義母に「どこか決めているところ(業者さん)はある?」と聞くと、
「わたし、分からない…」というばかり。
でも、なぜか「遺影にってとっておいてある写真はあるのよ…」と、戸棚の引き出しから義父の写真を出してきた。
(それは用意していたんかいっ…笑)
軽く頬づえをついて斜め右を見ながらほほ笑んでいる。たしかに義父らしさが分かる素敵な顔だ。
私が思わず、
「あら、素敵!なんだか売れない作家みたい!」
と言うと家族全員大爆笑。
「なんで”売れない”が付くんだよ。それは余計だろう」
と夫。
「いやぁ、なんか頭に何か付けないとつまらないじゃん。でも、ホント、いい顔してるわ~。開高健みたいっ!」
突然の出来事でショックと悲しみで混乱していた家族の中に急に笑いが入り、その緊張がほぐれていったように思う。
「遺影は決まったから、業者さんさえ決めればバッチリね!」
業者決めはグズグズしてはいられない。
義父の急逝は今から10年以上前のこと。業者によって費用は大きく違う、一度頼んでしまったら変更はできない…ということを聞いていた私は、とにかく明朗会計で安心して頼める業者さんにしたいと思った。
どうしよう…。代理店で働いていた時代に初めて大きなイベントを担当した時のことを思い出しながら、「あ、私けっこうこういうの得意だったな…」と悲しみから我に返って鉢巻きを締めなおした。
そういえば、義母はずーっと生協(コープみらい)の会員で買い物のほとんどをここで済ませていた。
「そうだ、コープに聞こう!」
義母に相談窓口の電話番号を聞いた私は早速、コープみらい(現在では『コプセ゚葬』)に連絡をした。
結果、正解だった。
提携している最寄りの葬儀社さんに連絡が行き、すぐ対応していただき、特殊な状況(自宅で急逝からの警察で検死を受けた後の引き取り)もスムーズに対応してくれた。費用もひとつひとつ説明と提示があり、家族全員で相談しながら決めたプランで通夜・葬儀では喪主である義母も満足している様子だった。
『安らか』が家族の願い
数少ない私のお葬儀参列経験ではあるが、私が今回の義父のお葬儀で何が一番良かったかと言うと『お顔』である。
ずいぶん昔に、親戚のお葬儀に参列した際、棺桶に花をたむけるために見たお顔はやつれ衰えていて、「これが死なんだ」と強烈な印象を私に残した。
救急で運ばれて死亡確認に立ち会った夫は、義父の顔を見てショックを隠せない様子だったし、急逝から検死までの数日を警察の安置所で過ごしたので、(どうなってるんだろ...)と私は義父の顔を見ることが不安だった。
対面はお通夜の日です。
恐る恐る棺の中を覗くと、
「あら~~~~~っ!まるで眠っているよう。しかも、なんだか若々しい!」
覚悟をしていたこともあったせいで、予想外の義父のイケメン顔に私は思わず「いいお顔しているじゃないのぉ~!」と大きな声で言ってしまった。
少し微笑みを浮かべ、顔色もよく、現役時代ブイブイ言わせていた(熱血サラリーマン)様子が伝わってくるようないきいきとしたお顔。
私たちは、このお顔と対面出来て
「あぁ…気持ちよくあの世へ行くのね…」
と自然に思えてホッとしたのだ。
祭壇や祭式は豪華でなくていい、このイベントの主役となる亡くなった本人のお顔はできるだけ素敵にメイキングしてもらうことは残された者にとって大きな慰めになり、きっと本人だってやぶさかではないはず。
家族全員、義父が安らかに逝くことを受け入れることができて、義母が唯一こだわった『お花をたくさん』も叶えられ、スタッフさんの気持ちの良いサポートをもらって無事に義父を見送ることができた。
行雲流水・・・流れる雲のごとく力を抜いてありのままに
50歳からの始める終活、それは、おしまいを決めることではなくこれからの生き方を定めること…そういう意味で、私のこれまでの経験から得た悟り(とまではいかないけれど心に留めておきたいこと)リストを『悟リスト』として書き残していこうと思う。
義父の見送り。ここで私が得た大きな学びは『行雲流水(こううんりゅうすい)』。
人が亡くなる…ということは、明確な予定は立てられません。
亡くなったら時は待ってくれない。
できることをできるだけ…業者さんにお任せするしかないのだ。
迷ってはいらやれない、我儘を言っても仕方ない、文句は無駄、欲を出すのはもってのほか…。なるようにしかならないことを受け入れ、精一杯に流されてしまえ~!と腹を括るのが「大切な人との別れ」なのだと思う。
この世を生きる私は無力、、、それでいい。なるようにしかならないのだから…。そんな心境だ。
遺族は心を落ち着かせようとするだけで精一杯。火葬許可の手続き、通夜葬儀の準備、当日の進行などなど…を全面サポートしてくれるのが業者さんだ。スムーズにしかも快く静かにサポートしていただき、私は、悲しみの中で義父を送りつつ、片目では葬儀社という仕事に興味津々で観察していた。
昔と違って明朗会計の業者さんが増え、ぼったくりと言われるような法外な値段を請求するようなことはなくなったようだが、この仕事は私たちの人生にとって最も特別で大切なものであることは確かだ。
安かろう悪かろう…では困る。
見送る家族全員が「(これで)良かったね・・・」と言いながら故人に心を寄せることができるお葬儀をすることはとても大事だということを経験したのだった。
つづく…
▼▼▼最上川えつこのエッセイ第2弾『アラフィフ歌会始』▼▼▼
読んでみてね~♪