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心を込めて「無」になる

やっと新しい生活に少し慣れてきたと思ったら、また新しい生活へ。人生に変化はつきものだけど、身体がうまいことついていかない。

5月でテレワークが終わる。4月・5月は通勤時間がない分、必然的に増えた家の時間。環境が変わって時間が増えたら、コーヒーを毎朝、当たり前のようにドリップして飲むようになっていた。

なんてことない日常の小さな変化だけれど、日常をちょっとだけゆたかにしてくれたなあと、振り返ってみて、しみじみ思うのだった。

自称コーヒー音痴のわたしは、コーヒーの味が全然わからない。いや、酸味が強いとか苦味が濃いとかの違いはわかるのだけど、インスタントコーヒーやコンビニのコーヒーで充分じゃないのかと思っていた。一杯千円近くする有名なお店のコーヒーを飲んでも、「セブンのコーヒーの方がおいしいな」と思ってしまうのである。

しかしこの自粛期間中に、たまたま貰った有名なお店のコーヒー豆。せっかくだからと、いそいそと近くのスーパーでドリッパーとフィルターを買いにいく。

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一滴一滴、丁寧に心を込めていれたドリップコーヒー。

それなのに、やはり素直においしいと思えず、「酸味が強すぎるな…濃いな…やっぱりインスタントの方が手軽だし良いな」などと思ってしまうのだ。

けれど、コーヒーをドリップするという行為がとてつもなく癒される。ポコポコと下に落ちていく音に耳を澄ませる時間。コーヒーの香りを嗅ぎながら丁寧にお湯を注ぐ行為。心を込めて「無」になる。それをしている自分が、もしかしたら好きかもしれない。

そうして、コーヒーをドリップするのが、毎朝の習慣になっていった。

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毎日飲んでいると、自然と舌と喉がコーヒー豆の味を覚えていく。同じ豆でも、入れ方が違うと味が変わる。久しぶりにインスタントコーヒーを飲むと、ものすごく薄く感じる。ちゃんとドリップしたコーヒーのおいしさ。ちゃんと感じられるようになったのだ。

家で過ごす時間が増えて、通勤時間が空白の時間に変わって、その隙間に入ってきた、小さな日常の変化。

頭で考えるより先に、身体が覚えて、わかるようになった味。「無」になれる新しい習慣。

その小さな変化が、なんだかとても尊く思えた、5月最終日です。


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