自分で洗濯するようになった娘を見て、過去を省みる
娘と二人暮らしになってから、彼女は日々進化している。何よりも驚いたのは、何も注意しなくても自分から、自分の洗濯物を洗うようになったことだ。
以前は全て私に任せていた。それがデリケートな衣類や学校に着ていくワイシャツなどを洗濯したり、布団も自分で干すようになった。これはかなりの進歩なのである。なぜなら、娘は不登校になったことがあるからだ。
思い起こせば、それは中二の時だった。娘の学校は普通の学校ではなく、ある専門的な教育をしてくれるところだった。そういう学校には実技の競争があり、しかも成績表にそれが付いてしまう。
娘に専門教育を施していた先生は、とても厳しい先生だった。毎日の厳しい練習に疲れ果てた娘はちょっと練習を休みたいと思ったのだ。それが気に入らなかった先生は、わざと娘に必要なことを教えなかった。
その結果当然のごとく、娘は実技の成績が落ちてしまった。それにショックを受けた娘はワーワー泣いて、学校に行きたくない、と言った。これは、とても専門の先生の指導を受けれる状態ではないな、と思った私は先生にそのことを伝えた。
しかし、先生は私を上手く誤魔化し、いかにも娘に対し、思いやりのあるような態度をしてきた。すっかり油断した私は、電話をかけてきた先生が娘と電話するようにした。
ところが、先生は私相手の時とはまるで違い、今にも不登校になりそうな娘に追い打ちをかけてきた。厳しい叱責を繰り返し、ズタズタになっていた娘に、傷口に塩を塗るようなことを言ったのである。
こうして、娘は完全に不登校になった。そしてそれは、私の子育ての反省の日々でもあった。
娘は通っていた小学校でいじめに遭い、これは地元の公立に行くと大変だろうな、と思ったので、中学受験をさせることにした。
しかしながら、中学受験というのは幼い子供には過酷なもので、私は娘にかなりのプレッシャーを与えてしまった。
娘が不登校になった時、その時の恨み言をたくさん言われてしまった。なので、それ以来、私は昔の過干渉なところを反省し、今ではすっかり放任主義になってしまった。
いくら、子供にはこうなって欲しいと思っていても、結局、子供は別人格で親が望んだようにはならない。それが不登校になって一番わかったことだった。
結局、友達の支えもあって、娘は不登校から脱出した。その時、私も仕事に遅れたり、休んだりして学校に付いていった。もし、娘が不登校になったのが、ワンマン社長がいる、今の会社だったらそんなことは決してできなかったことだろう。
あれ以来、私は放任主義を貫いているのだが、不思議なことに、こちらが何も言わない方が、娘は自主的に勉強やら専門の練習を一生懸命やるのだ。
そういう娘の様子を見てると、最初から放任主義でやった方が子育ては上手くいったんだろうな、と思ってしまう。色々失敗してしまったのであるが、不登校によって軌道修正できたのは、ある意味よかったのかもしれない、と最近思うようになったのである。
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