じわじわと…
コロナウィルスです。あっという間に、全国が、全世界がパニックです。
どこかで他人事だと思ってしまっていた。中国の一部か、とある豪華客船に乗っている人々か、受け入れた千葉の宿泊施設か。
千葉で、砂浜にメッセージを。素敵な事だと、自分にも何か出来ないかと、行こうか迷って結果行かなかったんだけれども。思えばあの時も、まだまだ他人事であった。
マスクが無い。消毒液が無い。トイレットペーパーが無い。ティッシュが無い。楽しみにしていたライブは中止になり、色んな集まりや集会も中止や延期。学生達は休校となり、街に溢れ、今年は花見も自粛しなきゃいけないんだそうな。どんどんどんどん、周りの様々な事が「自分ごと」として、小刻みに、しかし確実に身に降りかかり始めた。
何かがおかしい。
やってることは正しいのかもしれない。とにかくみんなで一丸となって、この状況を耐え乗り切ろうという姿勢はごく当たり前なのかもしれない。
けどやっぱり何かがおかしい。
既に声をあげてる方々もいるが、真綿で首を絞められるようなこの感覚はなんだ。
もう既にかなり息苦しい。
自覚的に息苦しい。耐えるべきを耐えて…って、戦時中か。
ライブをやれば良かった、みんなでパーっと集まって騒げば良かった、学校は休ませるべきではなかった、ではない。矛盾してるけど。
このもう、何でもかんでも取り上げられ、ひたすら黙々と労働をこなす日々。
気軽に人と遊べない。会えない。
元々、私生活をひけらかす方ではないが、休みに誰々と遊んだんだよね〜とか、どこどこに行ったんだよね〜が、絶対内緒にしないといけないのではないかと逐一思わされるのは、じわじわとキツい。まさに真綿で首を絞められているかのようだ。絞められた事ないけど。
正直、けっこう怖いと思っている。
世界の終わりって、こんな突然、こんなすぐ来るんだって。
世界の終わりってのは大袈裟に聞こえるかもしれないが、終わりのリハーサルを見せられているような感覚なんだ。
人類とは別の何かによって人類が追い詰められ、命を絶たれ、その対策によって娯楽が奪われ、人と人が接する事が暗黙の元でジワジワと禁じられ、誰もがお互いに疑心暗鬼になり、誰もが何かをいつも以上に確実に我慢して生きてる。
爆発や災害や隕石などではなく、
何か得体の知れないものをきっかけに、勝手に生きることを少しずつ放棄していき、みんなが確実にゆっくりと死んでいく。
負の近未来を見させられている気分だ。
家族からも、様々な状況を鑑みて、暫くは会うのをよそうという決断になった。高齢の人間も、子供もいる。妥当な判断だ。僕に異論は無いし、大賛成だ。二つ返事だ。
生きることは、命は、何よりも大事だ。たぶん、そう思う。
非常事態に、まずは命あってこそ。生きてさえいれば。
9年前の今日も、9年前の今日からも、僕らはそれを痛感したはずだ。
けど今回は、より濃く、暗い未来を突き付けられている感覚がある。どちらが上とか、下とかではない。矛盾してるかもけど。
押し寄せる津波も、恐ろしい揺れも、豪雨も、強風も豪雪もないけど、圧倒的な絶望を、何よりもソフトに見せつけられている感覚だ。
世界が、1人1人が、自分ごととなった。
あの時も、ガソリンに、コンビニやスーパーでの食料に、色んな事が劇的に不便になり、自分ごととなった。
はずだったのに。
今、更に先が見えにくいのは何故だ。本当に終わりは来るのか。乗り越えれるのか。終わらされる事はないのか。更に新しいウィルスが発生しないとは言い切れない。
こんな時こそ、人としての楽しみを忘れずにいたい。
人と人の繋がりを忘れずにいたい。
AIが発達して、リモートワークだなんだと言われ、まぁそこにはかなり大賛成側なんだけど。満員電車もだいぶ解消されてて感動したし。これからどんどん進んでいってほしい分野だし、僕もしたい。そういう生き方の方が好きって人が多いのも分かる。
けど、こういうんじゃないんだ。
こんな分断じゃないんだよ。
もっと何かこう、お互いが、主体的に、試行錯誤しながら、良い距離感や適材適所を見つけて、新しい生き方や働き方を見つけていきたい。
こんな分断は嫌だ。
ただでさえ、何かとコミュニケーションが希薄になりがちな時代だ。それはどんどん拍車がかかっている。
そこにきてこれはないだろう。
働くのが、生きるのが、本当に息苦しく、楽しくない。
政府が、とか、ライブや劇を強行?したのが、とか、誤情報が、とか、専門家が、とかじゃない。
それ以前に、
人として楽しんで生きる事を忘れたくない。
こんな自ら忘れてしまうような、放棄してしまうような状況はまっぴらごめんだ。
梅の季節が早くも終わろうとしていて、桜はもうすぐだ。
どこかでも書かれていたが、花は自粛しない。
自粛がダメという話ではない。
矛盾してるけど。
けど今の状況をとにかく怖く、恐ろしく、息苦しく思う。思っている。
今日も生きている事に感謝。働ける場所があった事に感謝。人として、楽しんで生きる、その為には色んな人と関わって生きる、ここを僕は忘れたくない。こんな事で、忘れたくない。