手帖(遠くに行きたくなった日)
noteをはじめるきっかけ
過去を引き摺っているつもりはないけれど、いつも、モヤモヤしたときに「それ」をハッキリと認識するので一度紙に書いて整理したいと思う(「手帖に殴り書きしたこと」をいつでも忘れないようにしておきたくてこのnoteアカウントを始める運びとなりました。)
人間の記憶には限りがあって思い出せないこともあるということはわかっていてほしい(自分に)
寂しい、とにかく寂しいときに
思い出すことはいつも
すこし忘れてきたけど、避けて通れないのは以下
すこし紙に書いただけでかなり楽になった
わたしはきっと「話を聞いてくれる人」を求めている。
相手を疑うことは相手を理解する第一歩
自分の悪いところを認識するのは、見るのは誰だって嫌だ、
じゃあ私の悪いところを指摘してきた人達は自分の悪いところも、同じ火力で、同じテンションで言って、改善できるのか。
結局、という言葉を私はよく使うが、私の頭の中は、
①受け止める ②考える(伝えないから適当になる)
③反応する←これって”伝える”ではないから結局は(また)ただの都合のいい反応じゃん
だから、すこしずつ考える練習をしたい
だから、悪意じゃなく「意見」を「意見」として捉えられるようにならなくちゃとは思っているが、完全な人間は、遊びとしてつまらないからいつまでも不完全にのさばっている、いつも「自分は正しい」という肯定感は誰にも渡さないまま、だから、突然消える
ほんとうに頭が悪い、わたし
だから、そういう捉え方を”知らない”で人の上に立ったかのように「頭が悪い」で片す人を見ると、かわいそうだな、関わりたくない、ってなる
恋人や仕事をまもる
だけど私は、直感で彼を選んだ
ほしいものを、趣味のものを選ぶ目と、彼を選んだ私の眼は一緒だ
だから、いつも、彼の罪を彼と切り離して考えたいと思っている
必要最低限度の文化的な暮らしはそこにある(この言い回しは好きではないが)必要な義務を果たして、あとは好きな人とささやかな暮らしをしたい、だから一生懸命生きているこんな私をわかったつもりで、仕事辞めろ/彼氏と別れなとか言わないでほしい、と心の底から思う。あなたに何がわかるの
私が一番私を話せる場所は、自発的に発した言葉や惰性ではないコミュニケーションでしかなく、今、あなたが結論を急いた「なやみ」は私にとってコミュニケーションの起爆剤でしかないの、人をだまして生きている自分に嫌になるけど、裏切られるのは怖いから、ほどよい距離感の人としか友達と呼べない、そんな生き方をしているから、よくわからない相手に「わかって」と思ってしまう
おわりに
いかがだったでしょうか。(純粋にこういうまじめな文章久しぶりだから感想が聞きたい)画面に向かうと、いつも本音はでなくなるのに、取り繕うことばかり考えるわたしにとって紙と鉛筆は、剣よりつよい、いつも私を守ってくれたから。ちゃんと勉強をして、ちゃんと宿題に名前をかいてそういう生き方をしてきたから私は手帖を信頼している、できるのだ。
スペースで音声で語るのももちろんそうだ、普段の生活の中に、ちゃんと私の話を聞いてくれる相手がいたから、画面に向かってもそこに相手の姿を感じておしゃべりすることができるのだ。だから、いろいろ述べたけど私は世界を恨んではいない。憎んでもいない。だけど、たまに見失う、だから、手帖を書く。なにかに真剣に向き合っている時間は、とてもとうといもので、もっと早くに気づいていれば、嫌なことも意味を見出せたのかな、と思ったりもするが、物事にはすべて意味があると思っているから、だから、読んでくれて、精一杯のありがとう、のため、私は考えることをやめない