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手帖(早退した日)
別に書くことでもないんだけど、妙に頭が落ち着いている。ちっぽけな田舎の女の、ちっぽけないちにちのはなし。今は安全な場所にいながらこのnoteを書いているから、大丈夫。
話すことの自分における比重
いつも不満は持ちながら働いているけれど、今日は適応障害、の診断を受けた時と同じような気持ちになったので、これは自分からのSOSだ、と思って、無理言って早退させてもらってきた。今聞いているだいすきな人のポッドキャストが、摂食障害の話をしている。避けてきたのだが、話の筋からやはり、信頼のおける人だ、と思う。その話は、また。底なしに甘いホワイトモカが、自分を癒していくのがわかる。ここぞというときのために取っておいてよかった。今日は散文じゃなくて、きちんと、自分の気持ちや客観性を残しておきたかったので、不良従業員すぎるとは思うが、家には真っ直ぐ帰らなかった。
物の見方と、捉え方、歪みをあやつる
わたしが今日帰った理由は、冬、適応障害を経験して、もう二度と間違ったコーピングで、迷惑をかけたくなかったから。お店にも、自分の将来にも。操りたい言葉がたくさんある、やりたい仕事がある。今のわたしは休んでいる暇などない、弱みを見せてはいけない、そういう認知の歪みは、ただしく、"認知の歪み"で、正さなくてはいけない、わたしの心の安寧は、わたしだけのものだから、わたしがわたしを守らなくてはいけない。
日常が物足りないのは悪者が足りないから?
誰かを陰で批判することが楽しかった時期がある。それは、今でもたまに、肩を叩くことがある。話は飛んで、うまく言葉に表せないけど、ドーナツの輪のように、ドーナツをドーナツたらしめるものは円のまわりに付随する物なのだ。(どこかで多少齧っただけの持論です)
甘くてしょっぱいスパイスのような、悪口、愚痴、逸脱行為、きっとそれは人生のボーナスステージのようなもので、胸を冷たくする"ひんやり"を、求めていたのかもしれない。
まだまだ見てない景色を、見ないための言い訳で他人を振り回すのはもう嫌だ。変わりたいと思った瞬間から、人は変わっている、素質はある。わたしが認める。
おわりに
なんのために書いたかと言われると、ただの趣味の延長なんだけど、書くことで得られる感情を得たいだけで、「早退したこと」に触れて話すほど、わたし、もう子供ではない。そんな時間はもうわたしには残されていない、20代半ば。
自分のためだけに生きるし、自分以外の誰かのために、なにかをしようとすると、途端空回りしてしまうのが人生なので、みんな、それなりで🆗 これが1番言いたかったことなのかもしれない
公開プレイリストは、承認欲求の実像ではあるが、それを認めた上で、さらす
ちなみに今日は、音楽を消して、運転した。