世間を斜めにみる母

うちの母親はちょっと歪んでいる。

正義感が強く、公共の場のルールには異常に厳しい。幼い頃は私の友達であろうと平気で注意する母を見て、おいおい勘弁してくれよと思っていた。

新しいものが苦手で(というかほとんど嫌っていて)、自分の体験してきたこと、信じている価値観に合わない考えは否定する。

本人は、自分は寛容でどんなことでもポジティブに捉えられると信じているが、実際にはかなり視野が狭く、マイノリティなものはだいたい拒絶する傾向にある。

私の大好きな友人に同性愛者の子がいるのだが、その話をした時には一度は理解したふりをして「でも、親御さんはショックだったでしょうね」と言った。当然のように。

私はその子を否定された気がしただけでなく、もしもこの先私が同性愛者だってわかったり、引きこもりになったり、大きな心の病になったりした時に、親からは理解してもらえないんだろうなと悟ってしまった。

数ある母の癖のなかで、一番勘弁してほしいのは、テレビで若いスポーツ選手やタレントが活躍する姿をみて、その子たちを否定することだ。

「こんなに早くからちやほやされて、絶対だめになる」「昔出てた◯◯なんてもう今じゃ全然見ないもんね」と言わなくていいコメントをいちいち挟み、なぜか同意を求めてくる。

「私この人嫌い」もすごく簡単に言う。

自宅の半径1kmで世界が完結する母が、スマホを手に入れた。昔は「インターネットの情報なんかに踊らされて」と世間の人々を馬鹿にしていたのに、今ではソースがネットニュースであるもの(特にゴシップ系)を堂々と私に披露してくる。

これはもう教育の問題だと思っているので半ば諦めている。母はきっと情報リテラシーなんて言葉も知らないし、ネット上の情報は玉石混淆だからきちんと取捨選択して使う必要があるというインターネットを使う上での初歩の初歩みたいなことも知らない。

仮に知っていたとしても、論文を書くわけでもない1人の主婦としてはそんなもの関係ないのだ。

テレビのニュースを見ながら、「でもこれって本当は◯◯なのよね」とか「この間の事件、犯人捕まったわね」とか、私より一歩早く情報を仕入れていることをアピールしてくるのもやめていただきたい。

親子の距離感は難しい。こんなところに書かず、直接本人に言って改めてもらうのが健全だと思うが、なかなかそうもいかない。狭い家で暮らすうえで、不要な争いは避けたほうが無難なのだ。

今日も帰ったらネットニュースを母というスピーカーを通して聞くことになる。ある意味アレクサみたいで便利なのかもしれない。

#エッセイ
#母親
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