ふと思い出す景色①

小学生の頃、2年に1度くらい芸術鑑賞会という行事があった。5〜6時間目を使って、みんなで外部の団体のパフォーマンスを鑑賞する。

4年生ぐらいだったかな。
アフリカ系の外国人20人ぐらいがゴミ箱とかたらいをひっくり返して楽器に見立て、日本にはないリズムの音楽を披露してくれた時があった。

パフォーマンスが終わった直後、当然のようにみんな拍手をしてその場は終わったが、その日の帰りの会で先生がこう言った。

「今日みんなの様子を見てて、すごく良かったことがあるので共有したいと思う。◯◯くんは最後終わったとき、手を頭の上に高くあげて大きな拍手を送っていた。

感動したっていうその気持ちをこちらも表現でお返しする。日本人はそういうのが苦手だけど、今日の◯◯はとてもよかったと思う。」

衝撃だった。

何がって、私は幼少期を振り返っても「騒いだ」ことがない。

スーパーで買ってほしいものがあって泣きじゃくったり、遊園地で楽しすぎて奇声をあげるくらいはしゃいだり、そんな記憶がない。

拍手とは手を叩く行為であって、やり方に種類があるなど思いつきもしなかった。

◯◯はクラスにだいたい1人はいるやんちゃボーイで、うっかりガラスを割ってみたり、授業中に騒いで注意される常連のようなやつだった。

その時ばかりは、本人も照れと先生に褒められた驚きとで、なんとも言えない表情を浮かべていた。

その時はそれ以上の大きな話題にもならず、先生のお話も淡々と進んでいった。

でも私はこの出来事がずっと忘れられなくて、何年も前のことなのに未だに鮮明に覚えている。

THE優等生だった幼き私の中で、

あの◯◯が先生に褒められている!しかも思いもよらぬ方法で!悔しい!

という気持ちが湧いていたのか、

自分にはそんな恥ずかしいことは出来ない。

という羞恥心の芽生えだったのか、

あいつは素直に感情を露わにできて羨ましいなぁ

という潜在的な願望だったのか。

何がここまで私の心に刺さっているのかわからないが、きっと今後も私はこの日のことを何度も思い出す。

#エッセイ
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