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私とドラゴンクエスト
ドラクエと出会ったのは、私が8歳の時。
お隣の家のNくんに見せてもらったドラクエ4。
当時発売されたばかりのそのゲームに、一瞬で心を鷲掴みにされたのです。
第一章のライアンが、素敵な音楽が流れるフィールドを歩いていました。
モンスターたちと戦い、レベルを上げ、ホイミンを仲間にして、空飛ぶ靴で塔へ行き・・・。
なんて楽しいんだろう!!!!
当時我が家にはゲーム機がなかったので、Nくんの家に行った時だけドラクエを見ることができました。
私もドラクエしたいな・・・。
そんな風に思い続けていた、ある日のこと。
祖母がこんなことを言いました。
「あゆみ、お勉強頑張っとるから、おばあちゃんがご褒美買ったる。」
足が悪く、寝たきりだった祖母。
楽しみといえば、テレビを見ることと、ファミコンで遊ぶこと。
「ロードランナー」は全ステージをクリアしてしまう腕前でした。
そう。祖母の家にはファミコンがあったのです。
つまり、ご褒美でドラクエを買ってもらえたら、おばあちゃんちで冒険できる!!!!
私は目を輝かせてこう言いました。
「ご褒美はドラクエ4がいい!!」
『テストは100点が当たり前』という環境で育ったので、我が家には『テストでいい点をとったらご褒美』というシステムがありませんでした。
(誤解のないように書きますが、テストで100点をとることを親に強制されていたわけではありません)
生まれて初めてのご褒美でドラクエを手に出来る。
この時ほど嬉しかったことはありません。
早く自分のドラクエが欲しかった私は父を急かして、近所のゲームショップに連れていってもらいました。
わくわくしながらショーケースを見ると・・・肝心の「ドラクエ4」が見当たりません。
心臓がちょっとドキッとしました。
思い切って店員さんに聞きました。
「あの・・・ドラクエ4はありますか・・・。」
店員さんは申し訳なさそうにこう答えました。
「売り切れなんですよ・・・。」
さーーーーっと血の気が引くような感覚でした。
8年生きてきた中で、一番のショック。
突っ立ったまま動けませんでした。
さすがに気の毒に思った父が、声をかけてくれました。
「別のにするか?それとも入荷を待つか?」
初めてのご褒美が、こんな形で台無しになるなんて。
おばあちゃんがせっかく買ってくれるって言ったのに!!!!
悔しくて腹が立って。
そんな気持ちのまま、私は赤い箱を指差しました。
「これにする!!」
こうして、私は初めて自分のファミコンソフトを手に入れたのです。
それが、ドラゴンクエスト3。
カセットを差し込みスイッチをオンにすると、真っ暗な画面に浮かび上がるタイトル。
思っていたのとはずいぶん違う始まり方に、少しだけ緊張しました。
16歳になり、旅立つ勇者。
旅の仲間たち。
手強いモンスター。
わくわくするような呪文の数々。
心に響く音楽。
「4じゃないけど・・・」と思いながら始めたのに、いつの間にかその世界に引き込まれていました。
勉強机の一番上、鍵が付いている引き出しにしまい、6つ下の弟にいたずらされないよう厳重に保管しました。
(一度油断して外に置いたときにマジックで箱にラクガキされ、大ゲンカ・・・)
「衝撃を与えると記録が消える」と聞いていたので、持ち運ぶ時はいつもハンドタオルの上に乗せて、忍び足で移動していました。
祖母の家で、少しずつ冒険を進める日々。
打倒バラモスという目的の為に頑張っていました。
祖母はいつも応援してくれていました。
そして。
その年の秋。
私の9歳の誕生日の後。
祖母は亡くなりました。
64歳でした。
家族みんなで病院へ向かう車の中。
窓から見える夜の景色。
おばあちゃん、おばあちゃんと心の中で何度も呼びかけたこと。
今でも鮮明に覚えています。
祖母のファミコンは、私が引き取ることになりました。
バラモスを倒したと思ったら、今度はアレフガルド!!?
こっちの世界でもイカにはザラキが効く!!
呪文が使えない洞窟って、どうしたらいいん!!?
今ほど情報がない時代なので、あちこち寄り道しすぎたりもしましたが、諦めずに冒険を続けました。
初めてのご褒美で手にした、初めての自分のゲームソフト。
それを初めて自分の力でクリアした時。
「そして伝説へ」の壮大なメロディに包まれながら、達成感から一気に脱力・・・涙が止まらなくなりました。
ああ。
光を取り戻したんだ。
冒険が終わってもた。
おばあちゃん。
私、クリアしたで。
こうして。
ドラクエ3が私の宝物になったのです。
CD、小説、CDシアター、4コマ漫画、いろんなグッズを集めました。
他のナンバリングタイトルもプレイしまくりました。
81の養成所に合格して東京に出てきてからも、成人してからも、私のドラクエ愛は変わりませんでした。
結婚してからもずっとドラクエ三昧でした。
息子妊娠中は、脱出ゲームで5時間かけてアレフガルドを救ってきました。
11Sでニマ大師のボイスに決まった時は、嬉しすぎて泣きました。
0歳の時の息子の声を使っていただけることが決まった時も、嬉しすぎて泣きました。
愛するドラクエに親子で出演できたなんて、今でも夢のような気分です。
娘が生まれ、私は40歳になりました。
もちろん今でもドラクエへの想いは変わりません。
息子とは、3と5をプレイしました。
娘はまだ音楽にしか触れていませんが、聞くとテンションが上がります。
夫とは、「そろそろアストルティアに戻りたいね」と話しています。
そんなドラクエまみれな4人パーティー。
これからも家族みんなでドラクエを愛し続けます。
私の人生を変えたゲーム、ドラゴンクエスト。
大好きなゲームはたくさんありますが、ドラクエはやっぱり特別な存在!!
・・・というお話でした。