愛は自分で迎えに行くもの。

私は私が大嫌いです。
心地良いと思うもの、価値観、思想。
そんな私の世界の全てが無価値で間違いであると。早く死んでしまえば良いと。
こんなことを繰り返し考えるくらい大嫌いです。
自分で自分の世界を壊していくようで怖かった。

そう、私は「自分の世界を愛したい」
「他の人もそうであってほしい」と願って
「ラブ」と名前をつけましたが
自分自身を大切にすることができません。

大切にしたい人が居ても大切にできません。
そりゃそうですよね。
自分さえ大事にできないのに、他人に愛を与えるなんてできるはずがありません。
ラブなんて全く似合わない名前だと思います。
名前詐欺だと言われても仕方がないくらいに、とても弱く脆い人間です。

だけれど、自分を愛そうとすることを諦めたくはありませんでした。
私なりに自分の世界を守ってきました。

では「愛」とは何なのでしょう。
ありのままを全て尊重できること?
常に味方であり続けること?
どんな事があっても信頼できること?

私は愛とは常にそうであり続けなくちゃいけない、ネガティブな感情を感じることは許されないと思っていました。

ですが不変の愛とは傍観者の立場では美しく感じる反面、自分の立場で考えると重くのしかかってくるような存在になりつつありました。

それなら、自分なりの「愛」を見つければ良い。
人それぞれの愛の形があっていい。
正解、不正解で考えてしまうなんてみんな同じ思想のAIのようになってしまうだけでつまらない。
最近ようやく気付く事ができました。

今の私が自分に与えられる愛は
まず「向き合い続けること」です。
自分が大嫌いで死んでしまえと罵倒しまくる時期があっても良い。
長いことやってきたのだから、きっとすぐには辞められない。

だけど闇雲に自分を否定するだけではなく、
今まで見ないふりをして無視していた
私は何を感じているのか、どうしたいのか、その上で自分に出来ることは何かを考えるようにしました。

「全て自分が悪い」と決めつける行為を繰り返していましたが、それではいつまで経っても自分も他人も愛することはできないでしょう。
ただ待っていても愛は歩いてこないのです。

だから私は私と向き合い続けること、自分なりの愛を探し続けること、ラブでいることを手放さないでいたいです。


愛の形でさえ多数派、少数派があり
「愛とはこういうものでないといけない」とイメージすることがあるかと思います。
私もそうでした。

だけれど、それではそのうち「愛」は手枷足枷となってしまうでしょう。
皆さんの考える「愛」とはどんな形ですか?

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