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等身大の自分

自分に余計な期待をしないこと。 それは自分を突き放しているように聞こえるかもしれないが、本当は自分への優しさだと思う。重過ぎる期待をかけると、必要以上に不安になったり、緊張したりして本来のパフォーマンスができないことがある。期待した分失敗した時の失望も大きいし、そこまで背伸びしなくてもいいんじゃないかと思う。こうあるべき!という理想像に縛られ過ぎていると、息苦しくなってしまう。 私もできないことや苦手なことは多いけれど、それはそれでいいと思うようになった。諦めも大事で、頑

    • 要するに、セクゾが好き。

      まさか私がジャニーズ(のあるグループ)を好きになるなんて思ってもみなかったし、そんなキャラじゃないと思っていた。だけど、人生って何があるか分からない。 私がセクゾを好きになった直接の要因は、リアル王子様、ケンティーだ。数年前のゴチの最終戦でのケンティーをテレビで観ていて(結果的にクビになってしまうのだが)、何となく彼の存在が気になり始めた私は、ケンティーについてスマホで調べるようになった。そこからセクゾというグループに派生して、セクゾの楽曲や面白ろ番組を観るようになる。そう

      • 久々にミスチルを聴いたのだけど、安心感が私を包み込んで我が家でくつろいでいるみたいな感覚になった。ミスチルは私にとって戻るべきホーム。

        • 誰からも見られない、外部から遮断された世界では自分の立ち位置はそれほど気にならないから楽だ。自分のことを客観的に眺めてみる必要がない。だけど、外の世界に放り出されたら私という存在は他者から規定される。自分の世界に閉じこもっている自分と、他者との関わりの中での自分という存在は違う。

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        • 要するに、セクゾが好き。

        • 久々にミスチルを聴いたのだけど、安心感が私を包み込んで我が家でくつろいでいるみたいな感覚になった。ミスチルは私にとって戻るべきホーム。

        • 誰からも見られない、外部から遮断された世界では自分の立ち位置はそれほど気にならないから楽だ。自分のことを客観的に眺めてみる必要がない。だけど、外の世界に放り出されたら私という存在は他者から規定される。自分の世界に閉じこもっている自分と、他者との関わりの中での自分という存在は違う。

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          人生がばらばらになってしまったかもしれない。これまでと同じようにはもう生きられないかもしれない。それでも微かな希望を掬い上げて前を向いて生きていかなければならない。ほんのわずかでもいいから灯りを見つけ出して生きていきたい。

          人生がばらばらになってしまったかもしれない。これまでと同じようにはもう生きられないかもしれない。それでも微かな希望を掬い上げて前を向いて生きていかなければならない。ほんのわずかでもいいから灯りを見つけ出して生きていきたい。

          どんなに頑張っても笑い飛ばせないこともある。自然とか大きなものに比べたら、私の悩みなんかちっぽけなものだけど、それでも自分にとっては大問題なんだ。

          どんなに頑張っても笑い飛ばせないこともある。自然とか大きなものに比べたら、私の悩みなんかちっぽけなものだけど、それでも自分にとっては大問題なんだ。

          過去は今で塗り替えられていく。そしたら今もいつかは未来で上書きされていくのだろう。当たり前だけど私たちは結局、今という瞬間しか生きられない。

          過去は今で塗り替えられていく。そしたら今もいつかは未来で上書きされていくのだろう。当たり前だけど私たちは結局、今という瞬間しか生きられない。

          人生で起こることをすべて真に受けてしまうけれど、たまにはそれは全部ネタなんだって笑い飛ばせたらいい。

          人生で起こることをすべて真に受けてしまうけれど、たまにはそれは全部ネタなんだって笑い飛ばせたらいい。

          自分のコンプレックスをコンプレックスとしたまま生きるのか、一周回って"個性"として受け入れて生きるのかで見えてくる景色は変わると思う。個性だと割り切るには相当な強さが必要だけど、その強さを私は手に入れたい。

          自分のコンプレックスをコンプレックスとしたまま生きるのか、一周回って"個性"として受け入れて生きるのかで見えてくる景色は変わると思う。個性だと割り切るには相当な強さが必要だけど、その強さを私は手に入れたい。

          常識的な正しさ、世間的な正しさが自分にとっても正解かどうかは分からない。そのような正しさだけが全てではない。生き方なんて、きっと何通りもある。

          常識的な正しさ、世間的な正しさが自分にとっても正解かどうかは分からない。そのような正しさだけが全てではない。生き方なんて、きっと何通りもある。

          人と違うことは、自分の中で劣等感として認識される。だけど、それは自分だけしかできない経験で、オリジナルなものなんだって前向きに捉えたいと思う。別に自分が、その他大勢と同じように生きる必要はない。

          人と違うことは、自分の中で劣等感として認識される。だけど、それは自分だけしかできない経験で、オリジナルなものなんだって前向きに捉えたいと思う。別に自分が、その他大勢と同じように生きる必要はない。

          私が杞憂かもしれない事柄を考えて立ち止まっている間にも、時は間違いなく進んでいる。 そんな時にふと空を見上げたら、私が考えていることなんかほんのちっぽけなものなんだって思い知らされた。 私にとっては大きな悩み事でも、そんなの空の大きさと比べたら取るに足りないものなのかもしれない。

          私が杞憂かもしれない事柄を考えて立ち止まっている間にも、時は間違いなく進んでいる。 そんな時にふと空を見上げたら、私が考えていることなんかほんのちっぽけなものなんだって思い知らされた。 私にとっては大きな悩み事でも、そんなの空の大きさと比べたら取るに足りないものなのかもしれない。

          その時はどうしていいか分からなくて途轍も無く大きな壁だと感じるかもしれないけど、それは人生という大きな枠組みで見たらそんなに大したことではないかもしれない。時には物事から近寄り過ぎず、俯瞰してみることも必要かもしれない。

          その時はどうしていいか分からなくて途轍も無く大きな壁だと感じるかもしれないけど、それは人生という大きな枠組みで見たらそんなに大したことではないかもしれない。時には物事から近寄り過ぎず、俯瞰してみることも必要かもしれない。

          アコーディオンの記憶

          1ヶ月ほど前の夕方、公園でアコーディオンを練習している人を見かけた。蛇腹を動かして音を鳴らす動作と可愛らしい独特の響きがやけに懐かしくて、忘れていた遠い日の記憶が急に蘇ってきた。 私はアコーディオンを2年間弾いていたことがある。小学生の頃、音楽に関するクラブに入っていて、校歌の演奏の楽器の割り振りで、なぜかアコーディオンの担当になったのだ。弾き始めた当初は、重いし、弾き方が分からないし、ちゃんと音は出ないしで、毎週あるクラブに行くのが憂鬱だった。他にアコーディオンを弾いてい

          アコーディオンの記憶

          ミスチル・CANDYと思い出

          自分の中で、恋と呼べるものを3回ほどしたことがある。その中で1番最近のものは、浪人生の頃のものだ。私が当時好きになった子は、頭が良くて、優しくて、ジェントルマンで、他の男の子たちにはないものを持っていた。特に英語の発音が綺麗すぎて、その子が授業中に発音するたびにキュンとしていた。予備校に通い出してすぐにその子のことを好きになったので、約1年間片想いをしていたことになる。(一時期はその子も私のことを気になっていた時期があったようだが、特に何も起こらなかった。笑) 予備校生活を

          ミスチル・CANDYと思い出

          部長の思い出

          中学生の頃、柄にもなく部長を務めた。 それは、第1志望の高校に行くために内申点を上げるいう不純な動機からだった。(結果的に不合格になるのだが…。)が、部長をやっていくにあたって身についたことや学んだことは多かった。 一年生の頃から、私は先輩たちに媚びていた。緩い文化系の部活ではあったけど、私は先輩に会ったら挨拶を欠かさなかった。(他の部活だったら当たり前かもしれないけれど、挨拶をしない同じ部活の同級生もざらにいた。)後輩ができると常に気を配り、たくさん話しかけて距離を縮め

          部長の思い出