なにかをすっごい変えたくて、髪を切った。
2020年の2月。
「似合ってるんだから、今のままでいいんじゃない…?似合わなかったらどうする?頭の形は綺麗なほうじゃないのに…。」
美容院の鏡に映った自分を見ながら問いかける。
ずっと伸ばし続けてきた髪を切りたくて。明確な理由があったわけではなく、衝動的な欲求だった。
この衝動的欲求は、形を変えて定期的に訪れる。
「海が見たい」
「チャーハン1kg食べてみたい」
「知らない街まで散歩して、公園で寝たい」
「他人とシェアハウスしてみたい」
「競馬に大金を賭けてみたい」
規模感から実現可能性から内容はさまざまで、目的や意図は皆無。上記で言うと4/5は実際にやってしまった。
私は基本的に理性的だし、思い立ったが吉日タイプではない。物事を複雑に捉えて、ウジウジしてしまうのは私の悪いところだ。
だからこそ、たま〜〜に訪れるノーロジックでどシンプルな衝動には、倫理の範囲で従うようにしている。おそらく自分からのSOS、あるいは叱咤激励だからだ。
そして今回の衝動は
「髪型を変える」
だった。
↑これは今年の2/28、衝動が生まれた日にあげたInstagramのストーリーズ。
このストーリーズをあげた直後に連絡がきた。
かれこれ3年弱の付き合いになる、担当美容師さんだ。
6年前、上京してしばらくは、サイトのクーポンを使い倒しながら美容院を転々としていたが、彼に出会ってからは彼の美容院に通っている。
彼に髪を任せたい理由の1つに「自分の世界観を信じている」という点がある。
「こんなイメージで、こんな印象を与えたい」という伝え方をすると、彼はトレンドと自分の世界観を織り交ぜながら、希望を叶えてくれる。
結果に不満を抱いたことは1度もない。
腕前が素晴らしいのはもちろん、彼自身が自分の世界観を信じているのと同じく、私も彼の世界観を信じている。
だから今回も迷わず彼にお願いすることにした。
昔からロングヘアで生きてきた私は、髪を短くしたことがない。
野球をやっていた小中学生のときなんて、監督から髪を切れと言われ続けたが、絶対に切るもんかと伸ばしていた。
髪を切るくらいで大袈裟な文章だと思われるかもしれないが、私にとって「髪型を変える」ことはとても勇気を必要とすることだった。
髪型を変えることは、今までの自分らしさを捨てることのように思えた。
ストーリーズをあげた翌日に早速美容院へ。
怖気付かないうちに。
「とにかく、髪型をガラッと変えたくて。」
「よし、じゃあ一旦全体的に短くしてみよう。」
彼は、ふわっとした要望に対して軽くヒアリングをした後、さっそくハサミ入れていく。
だいぶ短く切った後で、正直、私はもうこれで充分だと思った。
「前髪はもうつくらなくていいや!」
前髪があるのとないのとでは、印象は全く変わってしまう。このタイミングならまだ引き返せる。
変わりに来たはずなのに、これでいいのだろうかという気持ちもあったが、もし似合わなかったら絶望的だ。
「いや、前髪はつくろう。あと髪の色もしっかり暗くしよう。」
「でも、一気に変えるのはすごく怖くて…。前髪は次回でいいかな。」
「どうせなら、一気に変えよう。中途半端に変えたら絶対に"前の方が良かった"って言われると思う。"前の方がよかった"なんて、周りに絶対に言わせない最高の髪型にしてみせる。」
その力強く、説得力のある言葉に背中を押され、私はもう彼にすべてをゆだねることにした。
↑びびりすぎてひどい顔になってる。
ヘアスタイリングまで終わり、完成した新しい髪型を見て、私は髪を切って良かったと心から思えた。新しい髪型は新しい自分らしさを与えてくれた。
もし、あのとき最後まで美容師さんが背中を押してくれなかったら出会えなかった自分だ。
(普段あまり自撮りは撮らないけど、切って数日は無駄に自撮りをたくさん撮った。)
どんな職業にも当てはまることだが、お客さんの要望を鵜呑みにして叶えることだけが、正解ではない。
ゴールが満足してもらうことだとしたら、新しい提案をする必要があり、「自分の世界観」は強い武器になる。
美容師さんの仕事は髪を切ったり、染めたりすることではない。より自分を好きになってもらうための手助けをする、本当に尊い仕事だ。
信頼できる美容師さんに出会えることは人生を豊かにすると、今回の経験を通して自信を持って言える。
そういえば、年越す前にもう一回美容院行きたいな。がっつりショートにするか、伸ばすか悩み中。