ミシェル・ビュトール『絵画のなかの言葉』(清水徹 訳)
ビュトールの『レペルトワールⅣ』(石橋正孝[監訳]/幻戯書房)の「絵画のなかの言葉」を読んでいると、大著のため悲しいかな図盤が小さかったり白黒だったりする。
ネットで画像を確認したりもしてみたが、ついでに五十年前に出版された本書を繙いてみることにした。/
【西欧絵画のなかの文字?この問いを提起してみただけで、すぐさま気がつくのは、たしかにそこには文字が数えきれぬほどあるが、その研究といったものはこれまでだれもしていないということである。この盲目状態は興味ふかい、】/
絵画のなかの「言葉(文字)」に焦点を当てた研究、たしかに、斬新だとは思う。
だが、普段あまり美術館などを訪れることがなく、たまに行っても、ビュトールとは異なり、多くの鑑賞者たちと同様、音声ガイドに手を引かれて、よちよちついて歩くのが関の山の僕には、思いのほか心に残る言葉は少なかった。
むしろ、僕には訳者の清水徹による「ビュトールにおける文学と絵画ーー解説にかえてーー」の方が興味深かった。
というか、この文章を読んで初めて、ビュトールの真の狙いを知ったという体たらくだ。
という訳で、今回は訳者解説の要約めいたものだけを記してお茶を濁そう。/
ビュトールは、父が若い頃画家を夢見ていた人だったので、彼も少年の頃から絵画に親しみ、作家になる前は画家になろうと思っていたという。
シュルレアリスム絵画に強く惹かれていたビュトールは、ジャック・エロルド、モネ、モンドリアンなどについての画家論を発表しており、おびただしい数の詞画集を制作している。/
標題や署名などから始めて、《絵画における言葉》の様々な在り方を分析した本書は、新しい絵の見方(読み方)を提示している。
ビュトールは、ベルリーニやボッシュの絵に触れて、「絵がその内部に持つべき文章(テクスト)全体をその絵に返してやるまでは真の意味で完全とはならぬ絵」だと言い、そうした絵を「未知の文章のるつぼ」と名づける。
絵は線や色彩という様々な記号の複合からなるが、加えて文字の要素の存在を確認し、(一)文字が文字として作用する、(ニ)文字が絵として作用する、(三)絵が文字として作用するという三つの記号的作用線を見てゆくとき、そこには実に様々な記号の織物(テクスト)があると言える。
ビュトールは、《絵のなかの言葉》に注目することによって、絵をなによりもまずテクストとして読む見方を説いている。/
はたして、次に美術館に行ったとき、僕は音声ガイドなしで歩けるだろうか?