ルネ・クレマン監督『太陽がいっぱい』
(1960年/フランス・イタリア)
この映画はもう十回以上は観ている。
そのせいかどうか分からないが、僕の中では困ったことになっている。
というのは、カミュの小説『異邦人』をヴィスコンティが監督した同名映画があるが、僕が「異邦人」と聞いてまっさきに脳裏に浮かぶのは、ヴィスコンティの映画ではなく、この映画なのだ。
《太陽がまぶしかったら》→「太陽がいっぱい」とは、なんとも短絡的な連想だが。/
トムは何も持っていない。
金も女もヨットも。
人からもらった金で、人に寄生して生活している。
フィリップは全て持っている。
金も女もヨットも。/
《人間の欲望は他者の欲望である》(ジャック・ラカン)/
ラカンは、ぜんぜん分からなかったが、この言葉だけは分かるような気がする。/
それにしても、何度聴いても、ラストに流れるテーマ曲(ニーノ・ロータ)は悲哀に満ちている。
太陽がいっぱいのときは、影もまた濃いのだ。/
アラン・ドロンは、この映画のトム・リプリー役以外では、『シシリアン』(アンリ・ヴェルヌイユ監督/1969年)のチンピラ役と、『冒険者たち』(ロベール・アンリコ監督/1967年)のパイロットのマヌー役が印象に残っている。
昭和の映画の顔が、また一人消えてしまったのは淋しい。