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我流でできることとその先|「誰でもエッセイが書けるようになる実践講座」感想

「誰でもエッセイが書ける」

2年前に初めてさとゆみさんのエッセイ講座を受けた。それから1年ほど、何も書けなくなった。

それまでアメブロやnoteでも、なんとなく「エッセイぽいもの」を書いていた。毎日自分の中でおもしろかったことや考えたことを、つらつらと書くだけの「日記=エッセイ」だと思っていた。

さとゆみさんの講座では「エッセイとは何か」から学ぶ。「エッセイとブログの違いって?」

そこで初めて自分が今まで書いていたものは「単なる日記であってエッセイとは呼べない」ことを知った。それはブログ。「猫が好き」とか「子供がいるママ」とか、なにかしら共通項があればギリ読んでもらえるかもしれない。

でも、「エッセイ」はただの日記ではない。そこに何らかの社会とのつながり、「問いかけ」があるもの。

アンタの書いたものに「問い」はあるんか?
そこに「問い」はあるんか?

私の中で某消費者金融のCMでおなじみの、大地真央さんの声が問いかける。

「おかみ!ないよ。問いなんてないよ……」

書いては消し書いては消し。そして何も書けなくなった。

子供が幼稚園に通っていたころ、ママ友の中にパン教室を開いている人がいた。近所だったこともあり、通いだした。

習いに行くようになる前から、パンも家でたくさん焼いていた。子供の頃からお菓子作りはしていたし、そこそこのものが作れていると思っていた。

ところが、パン作りをちゃんと習いに行くようになってびっくりした。でき上りが、我流でやっている時と全く違う。手順も作り方も図書館で借りてきた本と同じだ。それなのに、見栄えはそっくりでもキメの細かさやふくらみ方が違う。我流でやっていた時のパンは、焼き立てはいいけれど時間がたつと何だかショボくれて、おいしくない。

教室ではパンが膨らむ原理や、せっかく膨らんだ生地を傷つけてガスが逃げてしまわないような「生地の触り方」から習った。カッターで「クープ」という傷を付けても、パンがふっくらとおいしく焼きあがるようになった。

これ!パン屋さんで売ってるパンに近いやん!

感動だった。

エッセイを書くこともパンを焼くことも、我流でもなんとかできる。でも、プロのものと比べると全く違うことに気が付く。

プロになりたいなら。プロに求められるものを学ばなければならない。

「何かを極めたいと思ったときに、知らないほうがいいことなんて、ひとつもないわよ」

「ちはやふる」桜沢翠

知らなければ好きに書けていたのに、と思うこともあった。でも、学ぶことをやめようとは思わなかった。たくさん本を読み、世界に対して五感を張り巡らせ、いつも敏感でいるよう感覚を研ぎ澄ます。

いま学んだことがちょっとずつ、身になっている感じがする。

少しずつ少しずつだけど、前へ前へ。進め、私!

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