我流でできることとその先|「誰でもエッセイが書けるようになる実践講座」感想
「誰でもエッセイが書ける」
2年前に初めてさとゆみさんのエッセイ講座を受けた。それから1年ほど、何も書けなくなった。
それまでアメブロやnoteでも、なんとなく「エッセイぽいもの」を書いていた。毎日自分の中でおもしろかったことや考えたことを、つらつらと書くだけの「日記=エッセイ」だと思っていた。
さとゆみさんの講座では「エッセイとは何か」から学ぶ。「エッセイとブログの違いって?」
そこで初めて自分が今まで書いていたものは「単なる日記であってエッセイとは呼べない」ことを知った。それはブログ。「猫が好き」とか「子供がいるママ」とか、なにかしら共通項があればギリ読んでもらえるかもしれない。
でも、「エッセイ」はただの日記ではない。そこに何らかの社会とのつながり、「問いかけ」があるもの。
アンタの書いたものに「問い」はあるんか?
そこに「問い」はあるんか?
私の中で某消費者金融のCMでおなじみの、大地真央さんの声が問いかける。
「おかみ!ないよ。問いなんてないよ……」
書いては消し書いては消し。そして何も書けなくなった。
*
子供が幼稚園に通っていたころ、ママ友の中にパン教室を開いている人がいた。近所だったこともあり、通いだした。
習いに行くようになる前から、パンも家でたくさん焼いていた。子供の頃からお菓子作りはしていたし、そこそこのものが作れていると思っていた。
ところが、パン作りをちゃんと習いに行くようになってびっくりした。でき上りが、我流でやっている時と全く違う。手順も作り方も図書館で借りてきた本と同じだ。それなのに、見栄えはそっくりでもキメの細かさやふくらみ方が違う。我流でやっていた時のパンは、焼き立てはいいけれど時間がたつと何だかショボくれて、おいしくない。
教室ではパンが膨らむ原理や、せっかく膨らんだ生地を傷つけてガスが逃げてしまわないような「生地の触り方」から習った。カッターで「クープ」という傷を付けても、パンがふっくらとおいしく焼きあがるようになった。
これ!パン屋さんで売ってるパンに近いやん!
感動だった。
*
エッセイを書くこともパンを焼くことも、我流でもなんとかできる。でも、プロのものと比べると全く違うことに気が付く。
プロになりたいなら。プロに求められるものを学ばなければならない。
知らなければ好きに書けていたのに、と思うこともあった。でも、学ぶことをやめようとは思わなかった。たくさん本を読み、世界に対して五感を張り巡らせ、いつも敏感でいるよう感覚を研ぎ澄ます。
いま学んだことがちょっとずつ、身になっている感じがする。
少しずつ少しずつだけど、前へ前へ。進め、私!
この記事が参加している募集
よろしけれはサポートお願いします。頂いたもので時間を買います。そしてまた書きます。