私の歩み
私は歌が大好きだった祖父の影響で、演歌を聴いて育ちました。幼い頃から、長野の大自然の中、千曲川や畑や田んぼで歌をうたうことが何より好きでした。生活の中にはいつも歌がありました。
「そんなに歌うことが好きなら音楽の道へ行きなさい。」という父の勧めで音楽科がある高校に入り、慣れ親しみがなかったクラシックの世界を知り、初めて人前で歌うことを意識しました。それまでの歌は自分だけのもので、ただ好きだったから歌っていたのです。素晴らしい声楽の先生と出会いがあって声楽の為の体づくり、人前で歌うための心構えなど歌の基礎を教わりました。何よりも先生がいつもおっしゃっていた「歌は心」という言葉は、今でも私の心得となっています。
大学でも、人に聴かせるための音楽を学び続けました。在学中に一時は教師を目指しましたが、私が思い描いていた「先生」「授業」と現実は違い、自分の未来を想像した時にワクワクしなくなっていました。 「世間知らず」「常識知らず」の私は自分にコンプレックスがあり、人生の中で1度は社会に出て学びたいという思いがあり就職活動を始めました。社会で学ぶには1番刺激が多くて多くのことを学べそうな関東で仕事をする!と(本当はどこでも学べるのですが)決めました。業種は絞らずに様々な会社の説明会に出席し、面接や試験を受けました。就職活動は、夜行バスで大学から東京に月に3、4回行き、早朝新宿に着きます。大変だったけれど、始発電車が動き出す前の静かな都会の空気や人がいない景色を見るとなんだか嬉しくなったのを思い出しました。(夜明け前の都会に1人で来ているという優越感だったのかな。笑)そんな中、求人サイトで見つけた面白そうな会社。「牛乳で遊ぶ」がコンセプト。面接は、黒髪に黒いスーツが当たり前だったのに「普段着で来てください」と書いてありました。ここで私はこの会社に、そしてここで働く人たちに恋をしてしまいました。
「絶対にここで働きたい!!!」
そんな想いが通じたのか、採用していただき、新入社員として働き始めました。ここでの経験を話始めると長くなるので今回は次に進みます。笑 このように私は牛乳の会社に入社して、なんと「チーズ職人」となりました。
しかし、入社した翌年の2011年東日本大震災がおきます。 母の実家が福島にあり、津波で跡形もなく流されてしまいました。親族が多く被災したり、テレビから流れてくる信じられない悲惨な光景を見て、胸を痛めました。辛い気持ちを慰めてくれたのは音楽でした。 実際に、絶望の中でも音楽を聴いて表情が穏やかになった人や、歌で笑顔になる人をみて音楽が人に与える力を実感しました。大学卒業後、就職と同時に音楽から離れていた私ですが、再び音楽活動を始めることを決意したのです。
仕事を辞めて長野に戻ったころ、地元の新聞でオペラのキャストの募集をしていました。オーディションを受けたものの、キャストには合格できませんでしたが、合唱に声をかけていただき、参加することとなりました。そんな中、自分の声をもっと磨きたいという気持ちが再加熱しました。オペラのキャストとして出演されていた方にその想いを伝えたことがきっかけでレッスンをしていただき、日本オペラ振興会へ入団することになりました。(本当にありがたい出逢いでした!)2年間、厳しさと苦しさの中で自問自答、試行錯誤しながらオペラを学びました。在学中はイタリアでオペラ出演することもでき、刺激的な時間を過ごすことができました。舞台に立って温度を感じる大迫力の生の歌声に自分自身が感動し、心震える経験を何度もしたことが今の自分につながっています。
その後、島暮らしを始めるようになるとは、、、!
続きは次回書きます。
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