シンガポールの葬送 1 冷凍棺
この記事は先々月に私の父が脳卒中で急逝したことに端を発する。単身赴任先のシンガポールで行き倒れたので、身内が遺体を引き受けに行くのが筋であるが、国によってはこれが大変難儀である。シンガポールの場合は、見慣れない形式の手続きを除いて、そこまで苦労しなかったが、お世話になった火葬場兼墓所にて、極めて特異な葬送の体系を目にした。文化や技術の相違が葬儀に濃縮されていたのである。
空港から降りると東南アジアに特有の湿り気の強い空気が鼻腔に入り込んできた。あまり得意でない英語での交渉をして乗り込んだタクシーで、生命活動を終えた父が腐敗していないか心配になる。流石に先進国でそのような扱いはないと確信しながら、慣れない異国でどのような光景を目にするのか、不安で仕方なかった。
これは台湾で父を亡くした知人の話になるが、火葬場がない田舎で亡くなった父の遺骸を、自前で手配したレンタカーのワゴンで運搬することになり、道中で英語を話せない警官に捕まり、署で誤解が解けた頃には遺体の腐敗が始まっていたという。冗談では済まされない。
タクシーは不揃いな摩天楼の真下を駆け抜け、その中でも一際異様な仏塔と高層教会を合体させたようなビルのゲートに滑り込んだ。入り口にはSFD(Singapore Funeral Doom)と彫られた仰々しい石板が設けられていた。横に10m、高さも3mはある。東南アジアの街区において、こうした正面の主張の激しさは施設の財力を示している。
事前に手続きしていた旨が書かれているスマホ画面をホテルのようなフロントで提示すると、添付されたQRコードとパスポート(これは外国人に限る)から身元確認が行われた。確認が取れると、簡単な日本語ができる案内人が「どうぞ」と、私についてくるよう促した。一次安置のためのフロアは3階にあるという。病院のような施設を想像していたから、アイボリーの大理石が敷き詰められた煌びやかなエレベーターには違和感を覚えた。
結果から話すと、抱いていた懸念は全て杞憂に終わった。父の骸は「2001年宇宙の旅」の宇宙船ディスカバリー号に備え付けられていそうな冷凍棺に安置されていた。遺体を直視したくない人のためか、蓋は頑丈に閉じられている。顔の近くだけがガラスで作られており、近付くと自動で中身が見えるようになっている。生体反応でガラスの内側の色素が流動するようになっているらしい。後で調べるとタコの擬態からヒントを得た技術で、台湾の半導体メーカーが自前で特許を取得したことで数年前話題になっていた。
父の亡骸は腐るどころか、半ば凍り付いていたが、これも氷漬けというわけではなく、形はしっかりと判別できるようになっている。化粧も日本とは少し異なるが、適度に施され、綺麗に整えられている。久しぶりに会った父である。私はしばし手を合わせた。細かい私事は省くが、異国のインフラ整備に尽力しながら、会えない妻子に仕送りを続けた父には頭が上がらなかった。呆気ない最後の苦しみが1秒でも短かったことを祈った。
「お待たせしました」
私は顔を上げ、少し離れた場所で待っていた案内人に声をかけた
「大丈夫ですか?」
「はい、予約の通り、火葬までここでお願いします」
案内人は父の棺を運び出した。奥にある運搬用のエレベーターで火葬場まで持って行くという。私は半ば好奇心で運搬用のエレベーターを見ることにした。勿論、中には入れないが、見送りということで、棺が中に運び込まれるところまでは見届けられる。
「ご自身で運びますか?」
「いえ、それは大丈夫です」
これも、車輪がついた台車を用意してまで、自分でやりたいという人がいるらしい。安置場所からエレベーターまで、移動距離は数10メートルに過ぎない。しかし、元来重要な意味を持っていたであろうその移動に、近代的な葬儀場で日夜働く従業員も敬意を払わねばならない。所々で確認が入る。
「ここに運び込まれるのは外国人ですか?」
フロア全体を見渡すと、冷凍棺はかなりの数が設置できることが解る。ざっと数えただけで5×12くらいにはなる。父の遺体を余所に全く別のことを訊いたので、案内人は少し驚いたようである。
「いえ、シンガポールで亡くなられたほぼ全ての人です」
都市国家なので過疎に陥る領域がない。したがって全ての公的設備が稠密の様相を呈す。
「ええ、それは結構な数になりますね」
「はい、しかし国が援助している施設ですから。それにシンガポール人は身元引受が早いですから、高速回転します」
高速回転します、という言葉遣いに一瞬戸惑う。
「はぁ、しかし綺麗な施設ですね。空気も安置所とは思えない」
「空気清浄機は日本の技術ですよ。エレベーターや棺もそうです」
消毒剤の匂いもない、健気に稼働する機械が作り出す澄み切った空気は、流石に赤の他人の棺もある中でそのようなことはしないが、深呼吸をしても心地良いくらいである。
「火葬場は上にあります。こちらはご覧になれません。ここでお見送りください」
人が入れないようになっているエレベーターは、小学校にあった給食を運搬するエレベーターを彷彿させる。こちらはかなり機械部分が剥き出しで、生きている人を載せるそれとは対照的である。スイッチが押される直前、私は再度棺に頭を下げた。
「行きます」
厳めしい扉が閉まると、父は文字通り、凄まじいスピードで天に昇って行った。後には機械音の残響が微かに木霊するのみである。私は遥か上で、凍てついていた骸を炎が包み込むところを想像した。
「ありがとうございます」
私は案内人に一礼する。
「いえいえ」
対応はかなり真摯な彼の応答の端々が不自然なことは指摘しないでおく。
「火葬は早いです。ロビーでお待ちください」
案内されたのはすぐ上の4階である。広すぎる待合室には、私の他に2人しかない。
遺骨はコンパクトな壺に収められて返される。日本の葬儀のような面倒なことは当然行われない。結果だけが返ってくると言うのは不適切かもしれないが、私と父に宗教的なこだわりがないために、簡素な形は逆にありがたかった。
先に受け取った2人が捌けてから、私の名前が呼ばれた。まるで巨大な鳥類の卵を機械化したような壺が渡される。渡されてもすぐに日本に送る手続きに進むので、これは形式的な確認に過ぎなかった。
私は昇天していった遺骨が機械的な焼却を経て、小さくまとめられる一連の作業がマニュアル化され、この国の中ではさして高くない賃金で働く人々の手によってなされている様子を思い浮かべた。そしてそれが内蔵された墓にお参りに来る人がいる。