「呼び方」で出る「仲間」に対する想い

最近仕事の都合上、なかなか接点を持てないような人と話している。共通点は、人材系のベンチャー企業の社長ということ。

同じ年代の方々が事業をしている姿を見て、「私ではできないや」とか「どんな気持ちで始めたのかな」とか、いろいろ聞きたいことがあるが、相手も忙しいので仕事の話しかしない。その話の中で、他の社員を紹介して下さるときもある。若くてキラキラしたような社員と共に、会社の成長のために前進しているのが伺える。

いろんな社長とお話しさせていった中で、「これはどうなのかな」と思ったことがある。

それは、一緒に働く社員を「こいつ」「あいつ」と言ったり、フランクすぎる言葉で接していること

最近私の会社では、「社長≠えらい」という方程式でなく「社長=”会社の代表”という役割を担っている者」という方程式が成り立っている。だから、確かに経験の差や責任の感じ方は違うかもしれないが、「社長が絶対」という感じにはなっていない。それは社長も承知していて、議論して言い合いになったり、時に社長が社員に弱みを吐露することもある。

比較するわけではないが、上記のような呼称で社員を呼んだり接したりする社長は、「王様」のように見せている感じが伝わってきた

よく社員を「仲間」「家族」「かけがえのない存在」と表現する社長さんがいるが、そんな呼び方でそんな意識は生まれるのか。社員はどのような気持ちを持ちながら働いているのか…

こういったところから、会社の社風や見られ方ができていくと思う。「それが素なんだからいいじゃないか」という考え方の人もいると思う。それはそれで、会社の社風だから別にいいと思う。

「社長の在り方」というか、「仲間とのあり方」を考えさせられた。

とっても嬉しいです。創作活動の励みになります。