ニューロダイバーシティという考え方

私は今年にADHDの診断された!
一言で言うと「心がすごく楽になった。」

ものご心ついた時から感じていた教育システムでの
生きにくさと漠然と抱えていた孤独感があった。
なんとなく「みんなと同じがいい」と思いながら、思わされながら、、
やっぱり自分の頭の中とみんなの頭の中は違う気がしていた。

・どうしても期日ギリギリかもしくは守れないこと
・興味がない内容だと止まらないマジカルバナナ
・頭の中には常にたくさんのアイディアが目に映るもの聞こえるものが溢れ出す
・集中ができない時の止められない多動
・刺激を求めてとにかくいつも新しいことに挑戦
・でも溢れる好奇心に目移りしてなんだか結局全てが中途半端になりがち
・頭の回転は早いけど効率が良いとは無縁

今思えば診断を受けるでもなかった。

でも最初からこの自分を素直に受け入れることができたわけではなく。
今日心の底から少数派の脳を持って生まれた自分が好きと思えるほどに
受け入れることができるまでに時間がかかった。

不安症とパニック発作を経験してから約1年弱
強い焦燥感と不安感とまた来るかもしれない
パニック発作に怯えている時期があった。
神様に「何もいりません。だからどうかこの不安を私の中から取り除いて
心の平安をください」と心から祈っていた。

それでも自分でリサーチをすると「不安症やパニック発作」
は治療が可能だということが分かった。
そこからあの手この手と色々と結果が体感できるまで試し続けてみた。
リサーチをする中で出てきた「ADHD」というキーワード。
もちろん聞いたことはあったし、もしかすると私も…?
なんて頭に過っていたけど見て見ぬ振りをしていた。

理由は「発達障害」という言葉。
治すことができないこと。

この2つが私の受容を妨げていた。

「障害」私は「障害」なのか。
なんだか急に怖くなった。

それですぐに気づいた。
「障害」に対するマイクロアグレッション(無自覚の差別意識)
が自分の中にも存在していたことに。
なんならそんな自分にも嫌悪感がした。
この認知がどこから来たのか。
社会そのものだ。批判的思考も共感力もないままに
「障害」を認識していた自分を恥じた。

知らないから、知ろうとしないから、大多数の考えや意見、風潮が
まるで自分の考えのようになっていた。

そしてその頃大学の先生に必然とも感じるようなタイミングで
「ニューロダイバーシティ(神経多様性)」の概念を教わった。

神経定型型から日本語で「発達障害」と言われているものまで
(ADHD・ASD・LDなど)みんな様々な神経の個性がある。

私たちはみんなこんなにも見た目が違う。
体型も顔つきも体質も。
もっと言うなら得意、不得意も
好き、嫌いも全部。

でもこの「違い」で私たちって結びついていて。
この世界が創られている。

身体で例えるとするなら
頭があって手があって鼻があって心臓があって
爪があってそうして私たちの身体が今日も動いているように。

神経は見えないけど同じように個性を持っている。

こう考えると私はスッと理解できた。
こうして時間は少しかかったけれど
意外にもあっさりとADHDである自分を受け入れることができた。

そして同じことでもし苦しんでいる人が居るなら
自分ができることで力になりたい。

この想いがきっかけで診療内科で数ヶ月かけてADHDの
検査を行い、正式にADHDの診断がおりた。

日本の教育は基本的に神経定型型向けに作られている。
納得した。だから孤独だったんだ。
だから上手くできなかった。
だからみんなの真似をしていた方が上手く行ったんだって。
ありのままの自分を認めて大切に出来ないでいたからバランスを崩してしまったんだ。

正直もっと早く知りたいとは思った。

なぜならADHDの自分を知ってADHDについても
もっと知った時に、、、
私の不安発作や対人恐怖が強くなる時のトリガー(引き金/きっかけ)は
ADHDである私が抱える青年期のトラウマ経験から来ていると思ったから。
大きな事象があったわけではない。
けれど長い間、神経定型型と自分を比べてみんなになろうとすることへの
苦しみや他者評価への怯えを繰り返すことで私にトラウマとして刻まれて行ったんだと思うから。

また今度「愛着」についても記事を書きたいと思っているけれど
ニューロダイバージェントであることだけではなくて
愛着の課題も合併して私は当時それに
向き合わざる終えないほどに心身共に苦しかった。

でもね、本当に全てに意味があるって心から思える。
あの時間がものすごく私を強くしたし成長させてくれたから!

今日こうしてブログとして共有できたことも
心から嬉しく思う!

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