一年
※かつてエッセイ投稿サイト「shortnote」に別名義で掲載していた内容をサービス終了に伴い転載しました。
なんか一年とか一瞬だったけど、
思い出せば長くて、色々あった気がする
私は息子が生まれた時、
誕生日というのは、親からすると
自分が何年親をやってきたという振り返りの日でもあるということに
初めて気がついた
私は正直、未だに赤んぼうがかわいいと思うことは少ないと思うし
かわいいというのがよくわからない
何というか、1年一緒に暮らしてみて、赤ちゃん=人間の子どもというのは、かわいいという言葉で表現できる範疇の生き物(あえて生き物といいます)ではないと思う
もっと暴力的で原始的であたたかく柔らかい、なんか言葉で表現が出来ない不思議な生き物で
かわいいという表現でいいのか、分からない
息子は多分、めちゃくちゃ育てやすいタイプの赤ちゃんで、
生まれた時から常に成長曲線のど真ん中を進み、
好き嫌いも夜泣きもほとんどなく、
最近は自分の思い通りにいかなくて怒ることが増えたけど、
それまではお腹がすいた以外の理由で泣くことはほとんどなく、
寝かしつけも眠そうな時に布団に転がしといたら勝手にスヤアと寝るし、
初対面でも誰に対してもだいたいいつもにこにこしており
私は世のお母さんたちより楽をしていると思った
もうとっくに赤ちゃんの匂いはしなくなってこどもの匂いになったけど、
こっちのほうが現実的ですきだ
新生児は浮世離れしすぎている
子どもが笑った一瞬とかスヤアて寝てる一瞬とか、
そういうのが普通にあることが奇跡的なことで
そういう時間の中に今いられること自体が幸せなことだと思う
もしなんかで息子が急に明日死んだりしたら、
私は私のような人間でもあのような素晴らしい赤ちゃんと一緒に暮らしてた時があったんだなあって
思い出しながら毎日生きるだろう
平日全てワンオペだから疲れるとか、
一般的な育児の悩みはそこそこあるものの、息子がお母さんのいない子になったらかわいそうと思ったら何とか生きられてる、ような気がしている
誕生日は特にインスタ映えたりしないふつうのをふつうにやります
生まれて1年よくがんばりました