meimo
Kindle ダイレクト・パブリッシングで小説の同人誌を作った時に考えたことをまとめた記事です。Howto要素は薄いです。
現在はサービス終了したエッセイ投稿サイト「shortnote」に別名義で掲載していた文章を転載しています。 妊婦〜子育て内容多め。
※かつてエッセイ投稿サイト「shortnote」に別名義で掲載していた内容をサービス終了に伴い転載しました。 生まれた意味ってあるかないか、誰にも分からないのに、それでも人は子どもつくったりして、私もそうやって作られて、 なんのために生まれたかとか誰も何も分からないで生まれてきてるのに 自分から出てきたこの人を見ていると 「ふにゃふにゃであったかい」存在に会える、会いたいから っていうのが それの全部の答えな気がした ↑多分入院中に書いたぽいけど、記憶が全くない。 今
※かつてエッセイ投稿サイト「shortnote」に別名義で掲載していた内容をサービス終了に伴い転載しました。 なんか一年とか一瞬だったけど、 思い出せば長くて、色々あった気がする 私は息子が生まれた時、 誕生日というのは、親からすると 自分が何年親をやってきたという振り返りの日でもあるということに 初めて気がついた 私は正直、未だに赤んぼうがかわいいと思うことは少ないと思うし かわいいというのがよくわからない 何というか、1年一緒に暮らしてみて、赤ちゃん=人間の
※かつてエッセイ投稿サイト「shortnote」に別名義で掲載していた内容をサービス終了に伴い転載しました。 だんだん腹がぼーんってなってきて そういう体型の変化が、思ってた以上に嫌。 わたしのアイデンティティが、 (そんなもの凡人には最初から無いようなものかもしれないけど) 腹=妊婦=体型そのものになってる 優先席の前に立つ妊婦、エレベーターを使う妊婦、歩く妊婦。 腹。 妊婦である自分の状態が受け入れられてないのかな… 産婦人科に行くと沢山の妊婦がおり、当たり前だ
※かつてエッセイ投稿サイト「shortnote」に別名義で掲載していた内容をサービス終了に伴い転載しました。 妊娠してた 分かったことは もし友達が妊娠したよと言ったらおめでとう!!よかったね!と言ってしまうけど、 自分としては妊娠した段階でめでたいということはなく、 まだたち消えるか消えないか、何も分からない何かに対して めでたいとか せめて生まれるまでは何も言えない、 ただ葉酸のサプリを飲む、身体を冷やさない、重いもの持たない、太りすぎない、話しかける等の万事を尽くす
息子はイヤイヤ期と呼ばれるものの後半であると思う。 大変と言えば大変であるが、正直、赤ん坊の時よりどんどん楽になっている。赤ん坊を連れて歩き、道で出会う知らん人に「今が一番いい時期ね」と言われるたび、この人は一体どういうつもりで言ってるんだ?という疑問に囚われて絶望した。 私が母親として子をよく見てないせいだと言われればそれまでだが、意志の疎通が取れない赤ん坊一緒にいるのが本当に苦痛だった。 もちろん腹減ったとか、オムツ 濡れたとかなら泣いてる原因として分かる。 でも
「この子のお母さんは世界にただ一人、あなただけなんですからね」 産後まもない家庭に自治体の保健師が訪問する制度。自治体によって「赤ちゃん訪問」とかそんな名前がついている。その時の保健師が帰り際に言った言葉がまじで呪いだった。 確かにそれは事実だが、私はこの子の世話を「世界で一人の母」である私がまともにやらねば、この子はどうしようもない人間に育ってしまうということに受け取った。 保健師がどういうつもりでその言葉をにこにこしながら言ったのか。少なくとも彼女からしたら善意だっ