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始皇帝期の丞相たち──李斯はいつ丞相となったか
歴史雑記062
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はじめに
まずは、これが今月1本目の更新となってしまったことをお詫びしなければならない。
もう少し早い時期に更新をしようとネタを練ってはいたのだが、うまくまとまらず遅れてしまった。大変申し訳ない。
さて、今回のお題は「始皇帝と丞相」である。
始皇帝期の丞相として著名なのはやはり呂不韋と李斯だが、実はそれ以外の人物の名も伝わり、さらに李斯については疑義も多い。
どのあたりまでが確実で、どこからが怪しいのかを確認してみよう。
呂不韋の絶大な権限
よく知られるように、『史記』では呂不韋は始皇帝(当時は秦王)の擁立に多大な功績があり、それゆえに彼は相となり、洛陽十万戸(もとの周王朝である)の封邑を得た。
また、丞相の上位互換として「相国」(当時は「相邦」、劉邦の諱を避けて漢代以降に「相国」となる)があったが、呂不韋が任じられていたのはこちらのほうである。
彼は始皇十年に失脚するが、それ以前に絶大な権勢を誇ったことは出土史料からも明らかで、以下のような武器銘文も知られる。
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